新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【25】新日本「ブッチャー引き抜き」の激震!

 1980年、アントニオ猪木は異種格闘技戦を打ち切って、スタン・ハンセンという新ライバルとの抗争で純プロレスに軸足を戻し、ジャイアント馬場は愛弟子ジャンボ鶴田時代の足音を聞きつつ、3度目のNWA世界ヘビー級王座奪取で健在ぶりを示した。

 こうして80年代は新日本プロレスと全日本プロレスの間にいさかいのない穏やかなムードでスタートしたが、翌81年に突入するや、熾烈な戦争が勃発した。

 新日本は75年8月にNWAに加盟したものの、NWA世界王者を一度も派遣してもらえなかった。世界という舞台では馬場の後塵を拝する形になった猪木は、80年12月に「NWAの世界王座は一部のメンバーの間でたらい回しされている。NWAの有力メンバーの中にも新しい統一世界王座を創ろうという意見がある。真の世界統一のために行動を起こす」と宣言して、IWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)構想をぶち上げた。

 そして81年5月7日、新間寿取締役営業本部長が京王プラザホテルでの「第4回MSGシリーズ」前夜祭の席上で「私共が提唱し、近日中に本格的なスタートを切るIWGPの主旨にアブドーラ・ザ・ブッチャー選手が賛同しました。明日8日の川崎大会のリング上から正式に参加を表明してくれると思います」と発表したから騒然となった。

 ブッチャーは、それまで9年間に27回も全日本に来日してトップ外国人に君臨していた。4月30日の松戸市運動公園体育館での「インター・チャンピオン・シリーズ」最終戦でキラー・ブルックスと組んで馬場&ジャンボ鶴田と戦い、5月1日に帰国したばかりだったのだ。

 翌8日、午後7時38分、ブッチャーはユセフ・トルコとともに川崎市体育館に現れた。トルコは日本プロレス時代から猪木派として知られ、新日本の設立に参加したが、NETテレビ(現テレビ朝日)の放映がスタートする直前の73年3月に猪木と喧嘩別れして新日本を去っている。それが年月を経てブッチャー引き抜きの黒幕になるのだから、プロレス界はわからない。

 当時、トルコは劇画原作者の梶原一騎氏のプロダクションの役員を務めていて、ブッチャーはトルコを通じて梶原氏とも付き合いがあった。猪木の数々のビッグマッチを仕掛けて〝過激な仕掛け人〟と呼ばれていた新間氏は梶原、トルコに仲介を頼んで京王プラザホテルのスイートルームでブッチャーと会談を持った。

 新日本は79年8月26日の「プロレス夢のオールスター戦」での馬場&猪木vsブッチャー&タイガー・ジェット・シンで、初公開の延髄斬りを受け、ブレーンバスターで叩きつけられて猪木の良さを存分に引き出したブッチャーに「猪木の新たな抗争相手」としての可能性を感じた。

 また、馬場との抗争に限界を感じていたブッチャーも、猪木との攻防で大観衆を沸かせた感触を得て、新日本に自分の新たな可能性を感じていた。

 ブッチャーは80年暮れには新日本に移籍の意志を伝えていたが、すでに決定していた全日本の「新春ジャイアント・シリーズ」「第9回チャンピオン・カーニバル」「インター・チャンピオン・シリーズ」に参加。契約を全て消化しての移籍は、馬場に対する誠意だったのだろう。日本を発ってロサンゼルスに到着した段階で全日本に「契約は全て終了した。サンキュー」とメッセージを送った。

 19年2月19日、両国国技館における「ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜」で引退セレモニーを行うために7年ぶりに来日したブッチャーは、筆者にこう証言した。

「新日本に移籍する時に、私は馬場に〝向こうは破格のギャラを提示してきた〟と打ち明けた。そうしたら馬場は、葉巻を吸いながら言葉ではなく、目と目のコミュニケーションで〝それだったら行ってもいいよ〟と言ってくれた。だから私は新日本に行ったんだ」

 新日本の川崎市体育館に姿を現したブッチャーは、持参したカリビアン・ヘビー級のベルトを猪木の前に突き出して「こんなベルトは、お前にくれてやる。その代わり、IWGPのベルトを頂く。このアブドーラ・ザ・ブッチャーこそ世界最強だ!」と、IWGPへの参加を表明した。

 ブッチャーの新日本初戦は1カ月半後の6月24日、蔵前国技館における「3大スーパーファイト」。なんと新日本のトップ外国人のハンセンと組んで、猪木&谷津嘉章と対戦した。

 この試合は、前年10月に76年モントリオール五輪フリー90キロ級8位、80年モスクワ五輪幻の代表(日本不参加のため)の肩書を引っ提げて新日本の未来のエース候補として入団した谷津の日本デビュー戦でもあったが、ハンセンとブッチャーはライバル意識を剥き出しにして、競うように谷津を蹂躙し、ブッチャーはオールスター戦とは逆に猪木を初公開のブレーンバスターで叩きつけて存在感を大いにアピールした。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

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