アサヒ芸能さんのこの連載で、初めましてなので、ご存知かもしれませんがまずは自己紹介を。落語家としては「桂米助」、タレントとしては「ヨネスケ」として活動しております。
まずは落語家として今年9月に逝去した、六代目三遊亭円楽さんに哀悼の意を表したい。
円楽さんが三遊亭楽太郎としてデビューしたのが、1970年代初頭。俺が始めたのは1967年だから、お披露目年度が近く、いわば「戦友」とも呼べる円楽さんが亡くなったのは、大変寂しい限りでございます。
最後に電話で話したのは今年8月。彼が東京・国立演芸場で寄席に出演していた4日目でした。
円楽さんは「気遣いの方」でね。仲間内の好物を全て把握していたんですよ。俺がうなぎ好きなのもずいぶん前から知っていて、当日もスタッフさんから「米助さんに渡して」と、うなぎ弁当を差し入れしてくださった。彼は東京・墨田区の下町生まれだから、美味しいうなぎ屋を何軒も知っていてね。あの日、いただいたうなぎ弁当にも舌鼓を打った。土用の丑の日じゃなくても、うなぎ弁当を送ってくれたこともあって、どの店も美味しかったなぁ。
「死ぬまで(落語を)やらせてもらう」と宣言していたし、命を削って高座に立つんだから、いっときも邪魔はしたくなくて、電話ではなくメールでお礼を送ったんだよね。「いつもありがとう。ごちそうさま」と。そうしたら電話がかかってきて、「また美味しいうなぎを差し入れしますね」なんて会話が最後になっちゃった。律儀な人だったなぁ。
旨い寿司屋もごまんと知っている人だったけど、実は円楽さん、刺身は苦手だったんだよね。一緒に寿司屋へ行っても、卵焼きやかんぴょう巻きばかり食べていた(笑)。人には大枚をはたくのに、自分は質素。心意気のいい男だった。
俺がガタガタ言わせてもらいたいのは、円楽さんが72歳で逝去したこと。みんな「早すぎる」と言っているでしょう? 翌日の10月1日には、アントニオ猪木さんが79歳で心不全で亡くなっている。今年の2月には、漫才コンビ「Wモアモア」の東城しんちゃんが、解離性大動脈瘤で亡くなった。享年73歳。
亡くなるとニュースになる人たちはきっと、何歳になっても「早いですね。もう少し長生きしてほしかった」と言われるんですよね。人生100年時代と言われる今だからこそ問いたい。「『早すぎる』って、じゃあ何歳で死ねばいいんですか?」と(笑)。
俺は今年74歳でまだまだ生きるつもりだけど、身内や著名人には何歳になっても死なれたくない気持ちはわかる。死はなじみのある人が急に、日常生活から消えてしまうという現実に身を置くことだから。ゆっくりと静かに、受け入れていくしかないんだよね。
ヨネスケ 落語家・タレント。1948年4月15日生まれ、千葉県出身。1967年、4代目桂米丸に入門し、1981年真打昇進。2020年、YouTubeチャンネル「突撃!ヨネスケちゃんねる【落語と晩ごはん】」を開設。