新日本プロレス一覧

新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【13】75年馬場の猪木潰し2大作戦!

 1974年のアントニオ猪木を軸とした日本人対決ブームの中で「邁進する猪木、逃げる馬場」のイメージを作られたジャイアント馬場だが、翌75年10月30日の蔵前国技館で大木金太郎の挑戦を受けて立って快勝す...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【12】馬場攻勢!猪木より短時間で大木を撃破

 1974年の日本プロレス界は、アントニオ猪木の実力日本一路線で独走態勢に入った新日本プロレスに対して、全日本プロレスは年末にジャイアント馬場が日本人初のNWA世界ヘビー級王座奪取の偉業を成し遂げて一...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【11】「新日の狂虎」と「全日の呪術師」

 アントニオ猪木と新日本プロレスは実力日本一路線で1974年に大躍進したが、前年73年4月からスタートしたNET(現・テレビ朝日)「ワールドプロレスリング」の視聴率を押し上げた功労者は〝インドの狂虎〟...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【10】馬場がこだわった「日本一」ではなく「世界一」

 ストロング小林、坂口征二、大木金太郎との超大物日本人対決を次々と実現させ、実力日本一に邁進することで、1974年に大躍進したアントニオ猪木と新日本プロレス。  猪木は「日本選手権開催には馬場さんの...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【9】「猪木VSストロング小林」の名勝負

 1974年は新日本プロレスとアントニオ猪木が、実力日本一路線を打ち出して大躍進した1年だ。  そのきっかけとなったのは国際プロレスのエース、ストロング小林のフリー宣言。同年2月13日にフリー宣言し...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【8】新日本が大巨人アンドレ争奪戦に勝利

 1973年2月8日、アントニオ猪木と坂口征二による新日本プロレスと日本プロレスの合併が報じられた時、全日本プロレスのジャイアント馬場は「正直言って、驚かなかったね。かなり前から動きには気付いていたか...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【7】“ダイヤの原石”鶴田を巡る争奪戦!

 1972年3月に新日本プロレスを旗揚げしたアントニオ猪木、同年10月に全日本プロレスを旗揚げしたジャイアント馬場。ともにプロレスラーとして、プロモーターとして、日本マット界の頂点に立つという野望を抱...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【6】猪木と坂口が電撃合体

 1972年10月22日、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスが日本テレビと力道山家を後ろ盾に豪華外国人を揃えて東京・日大講堂で本旗揚げ。この年の3月6日にテレビも付かず、豪華外国人も呼べずに意地だけ...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【5】本流を継承した馬場が全日本旗揚げ

 1972年7月29日、ジャイアント馬場は「第1次ビッグ・サマー・シリーズ」開催中に日本プロレスからの独立を発表したが、8月18日の石巻市中央広場での最終戦まで出場した。ポスターに写真と名前が載ってい...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【4】日本テレビの要請で馬場が独立宣言

 1971年暮れに会社乗っ取りを策したとして日本プロレスを追放されたアントニオ猪木は、翌72年3月6日に新日本プロレスを旗揚げ。しかしテレビ中継もなく、大物外国人も呼べずに苦戦した。3月25日の秩父宮...

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