1945年8月、第二次世界大戦の終戦直前、ソビエト連邦は日ソ中立条約を一方的に破棄し、対日参戦を宣言した。この時期、ソ連は極東での領土拡大を視野に入れており、「北海道占領計画」を密かに立案していた。
ソ連軍のアレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥が主導したこの計画は、道北に位置する留萌(るもい)港を主要な上陸地点とし、留萌と釧路を結ぶ線以北、つまり北海道の北半分を占領するという大胆な構想だった。
具体的には、第87狙撃軍団の2個師団を投入し、樺太(現サハリン)からの輸送船団による上陸作戦が計画された。侵攻開始は8月24日未明。だが、ソ連の極東での影響力拡大が戦後の勢力均衡を崩すことを懸念したアメリカがこれに強く反対した。また、ソ連軍最高司令部も兵站面での準備不足や長期戦のリスクを危惧。結果的に、計画の実行は見送られたのだった。
この北海道占領計画の背景には、ソ連の最高指導者・スターリンの領土的野心があった。1945年2月のヤルタ会談で、スターリンは南樺太の返還と千島列島の引き渡しを連合国から約束されていたが、北海道の一部占領はこれを大幅に超える野望だった。
その軍事計画から80年…。
周知の通り、現在の日露関係は、北方領土問題に加え、国際情勢の変化によって一層緊張が高まっている。ウクライナ戦争を巡っては、ロシアはG7諸国と連携した日本を「非友好国」に指定した上、平和条約交渉の中断を一方的に宣言。両国間の対話はほぼ途絶えた。
両国の緊張は、北海道近海での軍事的リスクを増大させており、特に、稚内や釧路など、樺太や北方領土に近い地域では、偶発的な衝突の可能性が懸念されている。宗谷海峡ではロシア海軍の艦艇や潜水艦の活動が活発化しており、2023年にはロシア軍機による北海道上空での領空侵犯が複数回確認された。
日露間には軍事ホットラインが存在するが、相互の信頼不足からその効果は限定的だ。日本は、北海道近海での監視体制を強化し、海上自衛隊や航空自衛隊による巡視活動を拡大している。
ソ連の「北海道占領計画」は、戦後80年近く経った今も、日本の安全保障を考える上で重要な警鐘である。国際社会との連携を強化しつつ、日本は冷静かつ戦略的な対応を迫られている。
(北島豊)