激増する中国からの移民が習近平政権に牙を剥く「歴史の証明」

 中国で移民という新たな「長征」が始まっている。

 長征は建国前に国民党軍に敗れた毛沢東が本拠地であった端金(江西省)を放棄し(1934~36年)、餓えのなかで国民党軍と戦いながら、徒歩で延安まで1万2000㎞を移動し続けたことを言う。

 中国共産党が誇るその戦いから、およそ90年が過ぎた今、中国人が共産党政権から逃れるために、決死の覚悟で中国からビザを必要としない南米・エクアドルに渡り、車と時には徒歩でジャングルを通って北上してアメリカで不法移民になることに救いを見出す中国人が急拡大している。

「人民の国」から敵であるはずの「自由な国」への移民とは皮肉な事態であるが、その数はここ2~3年で増える一方で、昨年は4万人に達し、24年は5万人を超えると見込まれているほどだ。その多くは中国の監視社会から逃れ、「自由」を求めたと伝えられているが、中国の移民史を紐解くともう少し違った側面が見えてくる。

 中国の移民の歴史は、8~9世紀の唐代に始まり、16世紀の大航海時代の明代で広がりを見せたが、倭寇の勃興もあって明代後記に終焉に向った。

 その後、アヘン戦争の敗北で、中国人の海外移民が本格化した。イギリスがマレー半島のスズ鉱山の労働力として連行し、米国が奴隷労働の黒人に代わる安価な苦力(クーリー)と呼ばれる労働力として、中国人移民がゴールドラッシュに沸くカルフォルニアの鉱山や大陸横断鉄道の建設に従事した。

 彼らは社会の最底辺にあったが、中国人は同族・同郷の出身者で幇という組織を作って団結し、助けあったことが知られている。

 歴史に残る彼らの活躍で中国共産党史にも記録されているのが、腐敗した清王朝打倒のための同郷ネットワークである幇を生かし「大量の資金」を打倒王朝派軍に送り、辛亥革命を支え、共産党国家成立の切っ掛けをもたらしたことだ。つまり注目は、現在急増している移民と不法移民が将来、中国共産党の存在に刃を向けるような影響を与えるのかどうかである。

 中国から海外に、年間、およそ100万人近くの移民が生まれていると推定されているが、中国人から移民先として人気のない日本ですら、この10年で定住を目的とした入国者が2倍を超え、全国で中国タウン化が進んでいる都市が増えていることを考えると、この数字も納得できる。

 移民が増えた理由の一つは、「ゼロコロナ政策」で、共産党を支持していた富裕層が賄賂と人脈を駆使しようとマンションから出る自由が持てない期間を経験し、共産党支配の恐ろしさを改めて知ったことだ。さらにもう一つは、先の全人代で共産党の優位性を定めた法改正があり、共産党が経済よりもあらゆる面で国家安全(共産党)を優先する姿勢を明らかにしたことにある。

 要は、習近平中国は経済優先した鄧小平時代と決別し、たとえ対立する民主主義国家と鎖国的な状況になっても仕方ないという方向を選んだのだ。

(団勇人・ジャーナリスト)

ライフ