中国生まれのパンダが初めて海に渡ったのは、1936年のこと。アメリカ人女性が中国で子供のパンダを生け捕りにして母国へ持ち帰ったのだが、その後、パンダは動物園に預けられ、「スーリン」という名で人気者になったという。
日中戦争最中の1941年には、当時の中国国民党政権トップだった蒋介石の妻・宋美齢がアメリカにメスのパンダ2頭を送った。これが、いわゆる「パンダ外交」の始まりだとされるが、中国が本格的にパンダ外交を推し進めるようになったのは70年代に入ってからだった。
「戦後、蒋介石が台湾に逃れ、70年代に入って中国共産党が政権を握ると、中国は、台湾と断交し中国との国交正常化に動いた8カ国に対し、パンダ外交を開始するようになりました。その最初が、1972年のニクソン大統領による初訪中の手土産に送られたパンダでした」(全国紙記者)
以来、半世紀以上もパンダ外交は続いてきた。パンダの生息数減少でワシントン条約によって外国との取引が原則禁止になってからは外国への寄贈を中止し、その代わり、90年代からはオスとメスのペアで長期レンタル(期間は10年程度で推定1億円)することで外交を継続させてきた。
そんな中、米国では11月、米スミソニアン国立動物園にいた3頭のパンダが中国に返還された。これにより、米国で唯一、パンダが見られるのはアトランタ動物園だけとなったが、同動物園にいる4頭のパンダも来年で貸与契約が終了するため、帰国となれば1972年以来、初めて米国からパンダが姿を消すことになる。
「実は、英国でもスコットランドのエディンバラ動物園にいるパンダのペアが年内に中国に戻るため、英国でもパンダが見られなくなります。さらに、オーストラリアのアデレード動物園にいる2頭のパンダも来年で貸与契約が切れることから、近いうちに米英豪3カ国からパンダが消えることになるのです」(前出・記者)
中国にとって「外交のバロメーター」とされるパンダだが、前述した3カ国は、貿易やテクノロジー、人権問題、さらには台湾問題などでことごとく中国と対立している。また、今春、米テネシー州のメンフィス動物園にいたパンダのヤヤが返還されたが、「ヤヤが痩せてしまったのは虐待があったからだ」と中国のSNS上で非難の声が続出したこともあった。こうしたことから、米国の政府当局者の中からは「パンダ不要論」も巻き起こっているといわれる。
「中国がパンダを外交の目玉と考えているのは事実で、実際、尖閣問題などで中国との関係が冷え込んだままの日本に対しては、2011年以降、パンダを新たにレンタルすることはなくなりました。現在、日本には上野動物園を含め3カ所の動物園に9頭のパンダがいますが、このまま中国との関係が冷え込んだままであれば、両国でレンタル契約継続の是非をめぐる議論が起こる可能性もあり、そうなれば日本でパンダが見られなくなる日が来るかもしれません」(前出・記者)
パンダ外交の開始から半世紀以上が経過したこともあり、「友好協力をつなぐ架け橋」であるパンダに対する各国の対応も転換期を迎えているようだ。
(灯倫太郎)