岸田総理が総裁選で掲げた「令和版所得倍増」などの公約は木原氏が主導したものだと言われるほか、今年3月、総理が訪問先のインドから姿をくらましてウクライナのキーウを電撃訪問した際には、先に木原氏が食材を運ぶ車に乗り込んで出発し、訪問の足場を整えている。9月25日に、岸田総理は物価高に見合う賃上げの実現など経済対策「5本柱」を発表したが、直前の秋分の日に木原幹事長代理を招き、1時間以上に及ぶ異例の休日会談を行っていたというのだ。
官邸キャップは、2人の関係性をこう指摘する。
「もともと木原氏は宏池会の会長だった古賀誠元幹事長(83)とベッタリの関係だった。それが途中で岸田総理に乗り換えた。まさに機を見るに敏で、意外にハシッこい。安倍政権時代、岸田外相の下、外務副大臣を務めていたため仕事ぶりもよく見て知っていたこともある。〝お公家集団〟と称される宏池会で、木原氏は周囲にズバズバ物申す発言力で抜きん出ていた。バランスを重視する岸田総理は、他には代えがたいということで重用するようになった」
そんなデキる男も好事魔多し。霞が関の官僚取材などを得意とするジャーナリストの横田由美子氏がその素顔を明かす。
「かつては一緒に食事をしながらいろいろな話を聞かせてもらいました。ある時、珍しくお店の予約をしてくれたことがあったんですが、お店の人が木原さんのことを知らなかったんです。その時は『なんで俺のことを知らないんだ』としきりに言っていました。木原さんといえば、岸田首相が記者取材の際、ズボンのポケットに手を入れていて、態度がデカいと謝罪したことがあったじゃないですか。ああいうところを見ても、自信がありすぎて隠しきれないんだと思います」
そんな木原氏も挫折の味を経験している。政治家に転じたのは小泉純一郎元総理(81)が郵政民営化を掲げて解散総選挙に打って出た時。いわば木原氏は小泉チルドレンの1人なのだが、09年には落選の憂き目にあっている。
もちろん、ここで潰れないところが並みのエリートとは違うところだろう。政治部デスクが打ち明ける。
「この落選から、3年後の選挙で返り咲くまでのに、金策や選挙で勝つための様々なパイプ作りに励んだことが、後に政治家・木原として大いに役立った。楽天・三木谷浩史会長(58)や、関連団体から推薦状をもらっていた旧統一教会、比較的太いと言われている公明党とのパイプなどは、この雌伏時代に築かれたものです」
転んでもタダでは起きないタフネスぶりが真骨頂なのだろうが、その慢心がまさか身から出たサビになろうとは‥‥。