荒廃した学園を立て直すことに挑んだ熱血教師の物語。実話をもとにした「大映ドラマ」の不朽の名作「スクール☆ウォーズ〜泣き虫先生の7年戦争〜」(84年、TBS系)からは、森田光男役を演じた宮田恭男さん(58)が証言する。個性豊かな登場人物たちが目まぐるしく交錯する、信頼と愛を描いたドラマの撮影現場はラグビー同様、チームワークにあふれていたという。
─現在は実家を継いで、3代目の寿司職人で。
宮田 もう30年近くなる。そもそも役者は、オヤジの店にお客さんで映像関係の方がいて、「大将の息子さん、バイトでどう?」と誘われて始めたことだったからね。部活のような感じだった。
─それでも「スクール☆ウォーズ」という大作で燃え尽きたと思います。第1話から最後まで出続ける、重要なキャスト・森田光男の演技プランなんてありました?
宮田 特にはなかったですね。撮影スケジュールがギリギリで、先週撮ったやつが今週放送されるというような慌ただしさもあって。ただ、僕は俳優として短かったけど、他の俳優さんたちは今でもドラマに出続けていて、そのみんなが同じことを言っている。「あのドラマの撮影は普通のとは全然違った」って。
─全然違った?
宮田 当時はまだ俳優としての技術的なものが、今の俳優さんよりも低かったと思う。でも、メンタルで演じていました。演技が拙くても、精神論で撮影が進んでいった。そういう現場だったんです。
─と言いますと?
宮田 特に年長者の(主人公・滝沢賢治を演じた)山下真司さんが率先して言ってたんですけど、「気持ちで当たって行こうぜ」って。例えば、僕が神社の石段をうさぎ跳びで何度も往復するシーン。山下さんが「芝居でやっても伝わらない。お前、ほんとにやれよ!」って。まだ出会ったばかりで無駄話もできない間柄だったから、内心では「何言ってんだ、この人」みたいな(笑)。
─まさに熱血教師を地で行って。
宮田 でも先輩だから「わかりました」って。本気で何十往復もやってたら「俺も一緒にやる」ってなって。
─先生も一緒にうさぎ跳びする、あの名シーンは山下さんのアイデアから始まったんですね。
宮田 そうそう。それでこういうエピソードは僕だけじゃなくて、大木大助(松村雄基)や水原亮(小沢仁志)も、みんなが持ってた。それこそ撮影現場って、自分が映っていなければタバコを吸ったり、冬であればコートを着たりするでしょう。そういうことが一切ない現場でした。
─画面から伝わってくるあの迫力は、皆さんの「本気」の結集だったと?
宮田 そうそう。自分が映ってなくても、カメラの横にいて、演者の相手をするんです。とにかく泣くシーンが多かったけど、イソップ(高野浩和)がカメラに向かって大木に語りかけるよう涙を流していたら、カメラの横には大木がいて、こっちも泣いてるんです。今度は大木にカメラが向けば、イソップが逆をやる。効率は悪くても、気持ちでやっていました。
─ドラマの内容だけではなく、まさに「ONE FOR ALL・ALL FOR ONE」! となると、滝沢先生が不甲斐ない試合をした生徒たちを殴る、俗にいう「悔しいです!」のシーンにも秘話がありそうですね。
宮田 実話をもとにした場面で、撮影がスタートした頃から山下さんが「そこのシーンは肝だから」と事あるごとに言っていた。あそこは、まずカメラ1台でこっち向きから撮ったら、今度はあっち向きになって、カメラを移動させ、照明のセットを組み替えながら、6時間ぐらいかかった。待ち時間ができるけど、その間もみんな泣きっぱなし。じゃないと気持ちが切れちゃうから。撮影が再開されて自分だけ「ちょっと待ってください」なんてできないですからね。
─そうしたチームワークのかいもあり、視聴率も右肩上がり。20%も超えた。
宮田 その視聴率がよくなってきた後半の頃にはチームが強くなって、普通に勝ってしまうから、ドラマ性がなくなってきたんですよね(笑)。だから原作の大きな枠組みはあっても、「こうしよう、ああしよう」って大変だったみたいですね。
─次々と登場人物が亡くなったりしたのもそれで?
宮田 そうかもしれませんね(笑)。いずれにせよ、今でも「(恋人役の)伊藤かずえと本当に付き合ってたの?」なんて言われたりして。そんなわけないんだけど、そこまでのめり込んで見てもらえていたなんて役者冥利に尽きますよね。