昭和名作ドラマのアナザーストーリー(2)金八先生「加藤優」が明かす「腐ったミカン」の真実

 さて、改めて優という青年の役作りについて聞くと、直江はこう回顧する。

「(プロデューサーの)柳井満さんから『優はこういう家庭環境だよ』と話を聞かされ、イメージを伝えてもらって、それを台本に全部書き込みました。それを見ながら自分の中で『こういう感じの男の子なんだろうな』とイメージを膨らませて。台本が恋人というような感じで、とにかく一日中読んでいましたね」

 その結果、直江が描いた「優像」は、一部の目立つ印象だけで後に語り継がれていくものとは、少々違った。

「『腐ったミカン』のイメージばかりが先行していますけど、僕の中では〝お母さん思いの真面目な男〟であって、不良だなんてまったく思っていなかった。『卒業式前の暴力』の回で(放送室に立てこもって)訴えたのも、自分のお袋をバカにしたことへの謝罪と、『5日間学校に来るな』と言って沢井という男の子の学校に行く権利を取り上げたことに対する抗議でしたからね。金八先生に会って就職も決まり、母親に楽をさせたいというだけの純朴な感じですよ。だから『不良ですよね?』と言われても、『えっ、不良!?』という感じで」

 ファンの間で話題になる、登場したての眼光の鋭さに関してもこう明かす。

「よく目つきが悪かったとか、あの目力は不良じゃないと出せないという話が出るんですけど、自分としてはそんなつもりではやっていません。あたりかまわず『何だよ、この野郎!』とガン付けするわけではなく、世の中というか、金がないとこうまで落ちていくのかと〝しらー〟っと冷めている少年みたいな、人を信じていない野良猫みたいなものですよ。そういう感じで役を作り上げていました」

 10代で優というかけがえのない役に巡り合った直江は、20代の終わりを迎えた92年に芸能界を一度離れ、建設会社に就職。仕事の傍ら猛勉強に励み、一級建築施工管理技士と二級建築士の資格を取得した。35歳の時から、現在の大手建設会社に籍を置く。

 40代で再び芸能界と交わると、今は会社に兼業申請を出しながら芸能活動を続けている。

「3月29日から『劇団ジャップリン』の公演に出るんですけど、この劇団とも金八先生繋がりなんです。(11年に放送された)『ファイナル』の撮影の時、同窓生から『優、ちょっと出てよ』と頼まれまして。音楽のほうはバンド名を『直江喜一とオレンジブレイカーズ』といい、知り合いに命名されたんですが、『腐ったミカンの意ですよ』って。本業は1月に60歳の誕生日で会社の定年を迎えたばかり。加藤優、定年まで勤め上げましたよ(笑)」

 その目は優しい輝きに満ちていた。

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