「モノ申す系俳優」織田裕二に対する映画監督たちの分かれる評価

 11月に急性骨髄性白血病のために亡くなった映画監督の大森一樹さん。日本アカデミー賞の監督賞・脚本賞の受賞歴を持つ、我が国を代表する映画人のひとりだが、今回の訃報を受けて「週刊女性PRIME」は21日に同監督に関する記事を配信。その中で生前、織田裕二が映画撮影中に行った〝提案〟について「彼のセンスは素晴らしかった」と絶賛していたことを関係者が証言している。
 
「03年に公開された映画『T.R.Y.』でのことでしょう。この作品で2人は監督と主演俳優としてタッグを組んでいます。織田は若手のころからモノ申す俳優として有名で、脚本や演出について口を出さなかった映画・ドラマはないと言われるほどです。でも、相手がだれであれ物怖じせずに主張するため、時には衝突したり、軋轢を生むこともあるようです」(映画ジャーナリスト)

 なかでも有名なのが93年公開の映画「卒業旅行 ニホンから来ました」の金子修介監督との一件。金子監督は「月刊シナリオ」93年10月号に寄せた手記の中で「この映画に関わった人々に若い俳優ひとりコントロールできなかった僕の非力を、誌面を借りて、お詫びしたい」と織田のことを痛烈に批判している。

「脚本に難色を示し、修正を余儀なくされたと明かしていますが、役者側からの注文でシナリオが変更になるのは現場ではよくあること。ただし、監督によっては大御所クラスでも口を出されるのを嫌がり、同様に演者にも監督に黙って従うのが流儀と考える人もいます。相性の問題はあってもどっちが良い悪いの話ではありません。織田の場合、『踊る』シリーズでも積極的に意見し、そうやって今の地位を築いてきたのも事実。プロフェッショナルであって、トラブルメーカー扱いされるのは違うと思います」(前出・映画ジャーナリスト)

 主演という重責を担う立場だからこそ妥協せずに意見する。それだけ真摯に仕事に取り組んでいる結果なのかもしれない。

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