30万人の部分動員令によりその多くを戦地に送ったプーチン大統領だが、武器弾薬の枯渇に加え、満足な訓練もないまま最前線に投入された“にわか兵士”の士気が高まるはずもなく、逃亡者や自身で怪我を負って離脱する者、あるいはウクライナ軍にあっさり降伏する兵士らが続出。ついには殺人犯などの受刑者も戦地に送ることができる法案を可決したことは、既に報じられている通りだ。
そんな中、英デイリー・メール紙が、英国防長官の談話として「『プーチン大統領はウクライナでの戦争から逃げる兵士が出た場合、自軍を撃つために特殊部隊を配備する』と述べた」との記事を掲載、大きな波紋を呼んでいる。
記事の中で、同長官は「ロシア軍は4日から『バリア部隊』の配備を開始したようだ。戦闘から、逃げようとする兵士を撃つと脅す部隊である。昔の戦争でもロシア軍はこの部隊を配備していた」と語っているが、軍事ジャーナリストは「昔の戦争」とは第二次世界大戦中の対ドイツ戦のことだとして、としてこう続ける。
「大戦中の1942年、ドイツ軍はモスクワに向かって進軍、旧ソ連軍は撤退を余儀なくされていました。そこで、時の最高指導者スターリンは、劣勢だった自国軍の士気を高めるため、『一歩も後退してはならない。これが我々のスローガンだ』と宣言。各部隊に退却禁止命令を発令し、逃亡兵を取り締まるための部隊を配備した。それが『督戦隊』、つまりバリア部隊だったというわけです」
督戦隊の任務は逃亡兵の取り締まりだったが、その実は逮捕して拷問を与え、時には射殺することも珍しくなかったという。
「スターリンの作った規範には、『逃亡兵は銃殺か、あるいは戦車でひき殺す』という文言があり、逃亡しようとする兵士は撃ち殺されたのだとか。軍法会議も行わず、自国兵士を平然と処刑する行為には、さすがのナチスドイツ軍も眉をひそめたと伝えられています」(同)
しかも、逃亡兵の親類縁者は、見せしめとしてシベリアの抑留所で強制労働を強いられたというから、いかに戦争の最中とはいえ、とんでもない話である。
「結果、ソ連兵の辞書には『降伏』の2文字はなく、最後の一兵卒が倒れるまで前線で戦うことを強いられました。今回のロシア軍によるバリア部隊がどの程度の規模で、具体的にどんな任務を遂行するかはわかりませんが、スターリングラード攻防戦時には、軍レベルで各200人から成る督戦隊が3〜5個編成され、1942年8月〜10月にかけて兵士3万8600人を監視する193の部隊が、戦場から逃げ出したおよそ14万人の兵士を拘束した、との政治学者の研究報告もあります。兵士にとってはまさに生き地獄ですよ」(同)
相次ぐ暴挙に、プーチンの焦りと断末魔の声が聞こえる。
(灯倫太郎)