貧乏長屋に住む金兵衛がケチな坊主の亡骸から生前に飲み込んだ金銀を我が物にしようとする落語「黄金餅」(こがねもち)。長屋の一行が棺桶を運んだ下谷(台東区)から麻布(港区)までの道のりを辿る、ゆるゆる歩き旅の後半戦は、日本橋からスタートだ。
中央通りを新橋方面へ20分も歩くと京橋に着く。日本橋から京都へ向かう東海道最初の橋であることから「京橋」と命名されたそうだが、現在は首都高速の高架下に明治・大正時代の親柱が残るのみ。
高架をくぐるとその先は銀座だ。時計塔で有名な商業施設や老舗百貨店、いまどきの大型複合施設など、視線は上に向きがちだが、オイラは足元にいく。実は歩道の石畳にはかつて都内を縦横に走っていた路面電車の敷石が混ざっていて、つい探してしまうのだ。
京橋同様に首都高速の高架下になった新橋の手前を右に曲がり、土橋交差点を左へ。新橋駅を左側に見て虎ノ門方面に進み、西新橋一丁目交差点を左折するとほどなく愛宕神社の鳥居に出る。奥に壁のような石段があり、思わず後ずさる。
江戸時代、3代将軍の徳川家光はこの急坂を馬で登り、境内に咲く梅の枝を持ち帰れと命じる。尻込みする家臣の中から曲垣(まがき)平九郎という武将が名乗り出て、見事に成功。家光から絶賛され、その名を轟かせたという伝説から「出世の階段」とも呼ばれている。
いざ、石段を上るとこれが大変! 太腿に力を込めて一段、一段。てっぺんに着く頃には汗だくだった。しかし、坂の試練は始まったばかり。その後も榎坂、永坂、大黒坂、一本松坂と続き、ようやく絶江(ぜっこう)坂に到着。金兵衛の菩提寺は架空なので、絶江坂の案内板をゴールとした。
「黄金餅」では到着後、金兵衛は長屋の連中を帰してひとり葬儀を終え、さらに火葬場に運び、新橋に戻って夜を明かす。そして、まんまと金銀を手に入れて、黄金餅が名物の餅屋を開いて成功する。欲得ずくとはいえ、ものすごい健脚だ。
金兵衛をマネて、新橋に繰り出すのはいいが、その前に汗を流したい。麻布には黒褐色の温泉に浸かれる銭湯があるのだ。
夕方の浴室は地元のおじさんで大賑わい。一瞬、よそ者の侵入に鋭い視線が集まるが、必殺の微笑み返しで応じる。
手早く体を洗い、温泉にドボン。お約束の「くたびれた〜」と漏らし、次に待つ冷え冷えのビールを想像して、ひとり笑った。
内田晃(うちだ・あきら)自転車での日本一周を機に旅行記者を志す。街道、古道、巡礼道、路地裏など〝歩き取材〟を得意とする。