いよいよ年の瀬も迫ってきた。この時期のゆるゆる歩き旅といえば「忠臣蔵」だろう。
時は1701年。朝廷の接待役を任じられた赤穂藩主の浅野長矩(内匠頭)が指南役の吉良義央(上野介)を短刀で斬りつける大事件が発生する。
将軍が朝廷の使者を迎える重要な日に、刀を抜くだけで重罪となる江戸城内(松の廊下)での刃傷事件である。当然、徳川5代将軍・綱吉は大激怒。浅野は即日切腹、無抵抗だった吉良は無罪の裁定が下った。
さらに、赤穂藩は取り潰しになり、家老の大石良雄(内蔵助)は藩の再興に奔走するが願いはかなわなかった。そして、刃傷事件から1年9カ月後の12月14日、大石は46人の義士とともに吉良邸へ討ち入り、主君の無念を晴らす。
では、ゆるゆる歩き旅も討ち入りだ。吉良邸はJR総武線両国駅の南側、回向院の近くにあった。敷地は2550坪(約8400平方メートル)の広さがあり、現在は敷地の一部が吉良邸跡(本所松坂町公園)として整備されている。
まずは吉良邸跡の南側にある義士の一人、前原宗むね房ふさ(伊助)宅跡へ。現在は案内板が立つだけだが、前原はここに店を構え、仲間とともに内情を探った。
堅川にかかる一之橋を渡り、左に15分歩くと安兵衛公園に着く。人気者の堀部武庸(安兵衛)宅はこのあたりにあった。当日、義士たちは堀部宅と杉野次房(十平次)宅で待機し、午前4時頃に出発している。
オイラは「おのおの方、討ち入りでこざる」とひとり呟き、公園を出発。来た道を戻り、二之橋を渡って、左に進んでいく。
吉良邸正門跡に到着。正門からは大石良雄ほか23名が、裏門からは大石良金(主税)ら24名が攻め込む。オイラも突入! こちらは安全な公園だけど‥‥。
時代劇ではここから大立ち回りになるが、実際は吉良方の弓と槍を真っ先に壊し、長屋の戸口を鎹で固定して家臣を閉じ込めたり、わざと大声をあげて大人数と勘違いさせたりと巧妙な戦術を用いている。鎖帷子の防具も幸いして吉良方の死傷者が40名近いのに、義士方はわずか2名の負傷者しか出していない。
吉良の首級をあげた義士たちは、小休止のために回向院へ向かうが開門してもらえず、両国橋東詰へ。あとは浅野長矩の墓前に戦果を報告するのみ。菩提寺の泉岳寺に向かって、義士たちは意気揚々と歩き出す。
内田晃(うちだ・あきら)自転車での日本一周を機に旅行記者を志す。街道、古道、巡礼道、路地裏など〝歩き取材〟を得意とする。