ゆるゆる「歩き旅」のススメ!(7)中山道・板橋宿の「近藤勇供養塔」

 江戸時代に徳川家康の命で整備された五街道。それぞれ日本橋から最初の宿場となる千住宿(奥州・日光道)、品川宿(東海道)、内藤新宿(甲州道)、板橋宿(中山道)は「江戸四宿(えどししゅく)」と呼ばれ、大いに賑わった。

 今回はその1つ板橋宿を歩こう。JR埼京線板橋駅東口を出て、駅前広場を過ぎると新選組局長・近藤勇と隊士の供養塔がある。

 大政奉還後、旧幕府軍は鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に敗退。近藤たち新選組も奮戦したが、江戸へ下り会津を目指した。ところが近藤は千葉県の流山で新政府軍に捕まり、板橋宿で処刑されてしまう。首級は京へ送られ、胴体はこの地に埋葬された。

 供養塔には流山で袂を分かち、函館の五稜郭で戦死した副長・土方歳三の名前も併記してある。二人の魂はこの地でようやく再会できたのかもしれない。

 旧中山道を左に進み、国道17号を渡る。板橋宿は平尾宿、仲宿、上宿で構成され、「板橋3丁目緑宿広場」の手前を右折すると平尾宿脇本陣跡がある。徳川11代将軍・家斉の時代にはペルシャ産のラクダ2頭という珍客も訪れている。

 オランダ人が将軍献上品として持ち込んだが受け取りを断られ、見世物になり、長崎県の出島から江戸まで歩いて来た。テレビもインターネットもない時代だけに大騒ぎになり、気の早い江戸っ子は珍獣を一目見ようと押し寄せたそうだ。

 平尾宿から仲宿に入るとにぎやかな商店街になる。レンガ積みの袖うだつが目を引く大正期の米屋を改装した和風カフェ、自家製の餡を詰めた「いたばし最中」や美しい上生菓子が並ぶ老舗の和菓子店など、寄り道を楽しみつつ進む。

 宿場の名前の由来となった板橋を渡り、少し坂を登ると右側に縁切榎(えんきりえのき)が見える。樹皮を煎じて飲むと男女の悪縁を断ち切れるとか。しかし、嫁入り行列には縁起が悪い。そこで、幕末の皇女・和宮(かずのみや)が徳川家に輿入れする際は、わざわざ迂回して宿場に入った。

 縁切榎は現在3代目。根元の祠に詣でて、樹皮に触れる。最近、不快な出来事があり、思い出すたびに向っ腹が立ってしかたがないのだ。男女関係ではないが悪縁は悪縁。1年分の悪縁を含めて断ち切ってやれ!

 さて、木に触れるとあら不思議。軽やかな気持ちになる。先の不快な出来事を思い返しても「縁切榎」と呟くと怒りが再燃しない。ふふふっ。魔法の呪文を一つ手に入れたようだ。

内田晃(うちだ・あきら)自転車での日本一周を機に旅行記者を志す。街道、古道、巡礼道、路地裏など〝歩き取材〟を得意とする。

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