日本サッカー界にとって最後のファンタジスタかもしれない。
中村俊輔が26年間の現役生活にピリオドを打ち、今シーズン限りでの引退を表明した。
なぜ、最後のファンタジスタなのか。相手に時間とスペースを与えない現代サッカーではファンタジスタは生まれにくく、彼のようなプレーヤーは体ごと潰されるからだ。
中村俊輔の魅力は、左足から繰り出される遊び心に富んだ意外性のあるプレー。例えば、ドリブルで2人抜いてスルーパスを出す選手は今でもたくさんいる。しかし、中村は2人抜いてさらにボールをためて相手を引き付けてから、あざ笑うかのように裏にループぎみのスルーパスを出す。だから見ている人たちを楽しませてくれる。
同世代には中田英寿、小野伸二というパサーがいた。だが、中村は彼らと比較されることを嫌った。「ひとそれぞれで、自分には自分のキックがある」と。
中田のパスは通れば決定的な場面を作れるキラーパス。小野のパスは、受け手の特徴に合わせた優しいパス。そして中村のパスは、意外性のあるパス。そこに出すのか、そこまで見えているのか。時には味方選手までもが驚くような考えられないパス。
そしてキック。体をくの字に曲げる蹴り方は、どんなに遠くから見ても“シュンスケ”であるとわかる独特のフォームだった。彼の左足からどれだけのチャンスとゴールが生まれたことだろう。
特にコーナーキックの時、彼はわざとコーナーアークまでゆっくりと歩いて行く。コーナーキックになった瞬間にスタジアムの雰囲気が一気に変わり、相手チームにプレッシャーをかけられるからだ。それを楽しむかのようにゆっくりと歩いていった。コーナーキックひとつで、あれだけスタジアムの雰囲気を変えてしまう選手は後にも先にもいなかった。
そして中村といえばフリーキック。J1での24得点はもちろんランキング1位だが、忘れられないのはセルティック(スコットランド)時代のふたつのフリーキックだ。
それは06-07のシーズン。初のチャンピオンズリーグ出場の初戦、相手はプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドで、スタジアムはアウェイ。1-2でリードされた前半43分、ゴール正面やや右、約20メートルの位置から名手ファン・デル・サールが一歩も動けない見事なゴールを決めた。結果は2-3で敗れたものの、存在感を見せつけた。
圧巻はグループステージ第5節、ホームでのマンチェスター・ユナイテッド戦だった。0-0で迎えた後半36分。中村には少し距離がある約30メートルだったが、左足を振りぬいた。スピードもコースも完璧な見事なゴールだった。この1点を守り切り、セルティックは初の決勝トーナメント進出を決めた。
当時のマンチェスター・ユナイテッドはファン・デル・サールのほか、C・ロナウド、ウェイン・ルーニー、ライアン・ギグスなど錚々たるメンバーを揃え黄金時代を迎えていた。そんな強豪相手に2本のフリーキックを決めたことで「ナカムラ」の名前は世界中に響き渡った。
日本サッカー最後のファンタジアスタは、黄金の左足だけで世界を駆け巡った。これから始まる第2のサッカー人生で、どんなシーンを見せてくれるのか。いまから楽しみだ。
(渡辺達也)
1957年生まれ。カテゴリーを問わず幅広く取材を行い、過去6回のワールドカップを取材。そのほか、ワールドカップアジア予選、アジアカップなど数多くの大会を取材してきた。