圧倒的な人気を誇ったサッカー界の名将イビチャ・オシム元日本代表監督が逝去した。享年80。「蹴球界のノムさん」と言われるほどの理論家は日本のサッカー界を一変させた。
旧ユーゴスラビア代表の最後の監督として、90年のワールドカップでベスト8入りを果たし、指揮官としての評価を確立したオシム氏。03年には、Jリーグのジェフユナイテッド市原の監督としてチームを率いることとなり、来日。相次ぐ故障者に対していきなりこう苦言を呈した。
「肉離れ? ライオンに襲われた野ウサギが逃げ出す時に肉離れしますか? 準備が足りないのです」
この一節こそ、オシムサッカーの象徴だと語るのは、サッカージャーナリスト・六川亨氏だ。
「この言葉の真意は、『とにかく走れ!』という意味。日本人は、他国に比べて決定的にフィジカル面が負けている。それを補うために『走る日本のサッカー』を作り上げた人物であり、その後、世界と戦える日本にした功績は計り知れません」
日本サッカーは、まさにオシム監督の就任によって変革したと言っても過言ではないという。他にもある。
「日本人は間違いなく体の大きさで負けている。もっと単純に言えば戦いに耐えられる重さに欠けている。それを補うためには、まず走ること」
06年に日本代表監督に就任したオシム監督は、フィジカル面で見劣りする選手たちに、圧倒的な運動量で勝機を見出すことを課したのだった。
「ジーコジャパン時のドイツワールドカップ(06年)では、DFの宮本恒靖は空中戦で競り合えず、MFの中村俊輔も逆転ゴールを決められず精彩を欠いた。その要因は『フィジカル面=体重差』だと見抜いたのです。体格的にはメキシコ人とほぼ同じと言われていましたが、胸板の厚さ=筋肉量がそもそも違うことを指摘したのも、明確な分析力だったと言えますね」(六川氏)
加えて、組織力を高めるために同じチームのゼッケンを色分けし、同色の選手同士でパスをし合う練習方法も導入するなど一新した。
「そもそも、自身が64年にユーゴスラビア代表選手として東京オリンピックで初来日した頃から、日本人の勤勉さ、ホスピタリティーに感銘。親日家となったことで、トータル的に日本人の特性を見抜く目が養われたのだと思います」(同)
しかし、日本社会特有の「しょうがない」「(気持ちを)切り替える」といった日本語独得の言い回しは嫌いだったとか。
「『諦め』や『負けて学ぶ』といった勝負に徹しない曖昧な姿勢をよしとしなかった。親日家ながら日本的な考え方に『ノー』を表明したのも画期的でした」(同)
名将の裏表のない人間性が、日本人から今も愛される所以と言えるだろう。