【大型連載】安倍晋三「悲劇の銃弾」の真相〈第4回〉(3)「政界一善人」と言われた父

 父・岸信介のしたたかさと比べて、「政界一善人」とまで言われた安倍晋太郎は、東京大学法学部政治学科を卒業したのち、昭和二十四年四月、毎日新聞に入社した。

 まもなく、晋太郎に縁談が持ち上がった。相手は、岸信介の長女・洋子であった。岸は、取材にやってきた晋太郎のことを、ひと目で気に入った。

 晋太郎は、三十一年十二月、七年八カ月勤めた毎日新聞社を退社。石橋内閣の外務大臣となった岸の秘書官となる。昭和三十二年二月二十五日、岸内閣が成立した。

 晋太郎は、昭和三十三年五月二十二日の総選挙に出馬し、初当選を果たした。

 が、昭和三十八年十一月二十一日、晋太郎にとって三度目の総選挙で落選する。

 晋三が、小学四年生の時のことだ。一人で家にいた。たまたま開いていた玄関から、浮浪者のような男がスッと入ってきた。なんと、入口にかけてあった父親のコートに手をのばし取ろうとしているではないか。

 晋三はびっくりして、大声を出した。

「あー!」

 その男は、驚いて、コートを取らずに逃げ出した。

 その夜、父親が帰ってくるや、晋三は、昼間の武勇伝について自慢げに語った。晋三とすれば、てっきり褒めてもらえると思っていた。

 ところが、父親は意外な反応を示した。

「可哀そうに。コートぐらい、ウチにいくらもある。見て見ぬふりすればいいのに‥‥」

 まるで晋三が悪いことをしたように言うので、晋三はさすがにシュンとしてしまった。

 晋三にとって、このエピソードはよほど忘れがたかったのであろう。安倍晋太郎の追悼集「安倍晋太郎 輝かしき政治生涯」に記し、こう綴っている。

「この様に非常識なまでの優しさが父にはあった。こうした優しさが政界では、あるいは弱点となったかもしれないが、この強さと優しさ抜きには父の存在は考えられない」

作家・大下英治

〈文中敬称略/連載(4)に続く〉

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