新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【11】「新日の狂虎」と「全日の呪術師」

 アントニオ猪木と新日本プロレスは実力日本一路線で1974年に大躍進したが、前年73年4月からスタートしたNET(現・テレビ朝日)「ワールドプロレスリング」の視聴率を押し上げた功労者は〝インドの狂虎〟タイガー・ジェット・シンだ。

 シンが出現したのは73年5月4日、川崎市体育館における「ゴールデン・ファイト・シリーズ」開幕戦。ネクタイにスーツ、頭にはターバンという正装で観客として観戦していたが、山本小鉄vsスティーブ・リッカード戦の最中にリングに駆け上がって小鉄を襲撃したのである。

 NETの解説者をしていた遠藤幸吉の知り合いの貿易商が新日本に売り込み、その気になったシンが勝手に来日したために新日本関係者が客席を用意したところ、勝手にアクションを起こしてしまったという。

 この破天荒な行動は猪木の琴線に触れた。「あいつをシリーズに参加させろ!」という猪木の指令を受けた新日本関係者は、シンを香港に行かせてワーキング・ビザを取得させた上で呼び戻し、5月8日の熊本大会からシリーズに合流させた。

 サーベルをくわえて、狂乱の限りを尽くすシンのファイトは注目を浴びた。実はサーベルは猪木のアイデア。猪木は「初めてシンの宣材写真を見せられた時に小さなナイフをくわえていたから〝小せぇな。どうせならサーベルでもくわえさせてみろよ!〟って言ったんだよ」と打ち明ける。

 初来日前のシンは、カナダでベビーフェースとして活躍していたが、極悪ヒールに仕立て上げたのは猪木ならではの感性。当時の新日本は、まだ外国人選手が手薄だっただけに、シンは、まさに拾い物だった。

 そして、新日本のリングで成功のチャンスを掴んだシンの狂乱ぶりは猪木の想像を超えていく。2度目の来日中の11月5日、史上最悪のヒールとして世間一般からも注目される事件を起こした。夫人(当時)の倍賞美津子とショッピングを終えて新宿の老舗百貨店・伊勢丹から出てきた猪木をビル・ホワイト、ジャック・ルージョーと3人がかりで襲撃したのである。

 路上でプロレスラーがプロレスラーに襲撃されるという、前代未聞の事件は大きなニュースになった。事件翌日の6日に所轄の四谷署は猪木とシンら3選手を呼び出して調書を取り、猪木及び新日本に「本当ならば被害届を出すように」と促したが、新日本は始末書を提出して、シンらをシリーズに参加させ続けた。そこにはスキャンダルをプラスに転換する猪木ならではの発想があった。

「事件か? やらせか?」と物議を醸したが、一線を踏み越えてしまったシンと、それを容認した猪木の血の抗争が本格的にスタート。伊勢丹事件15日後の11月30日の福山市体育館では、リングサイドを15人の選手が取り囲んで場外に逃げ出せないようにするという、日本初のランバージャック・デスマッチで激突して猪木が快勝。

 実力日本一路線が主軸になった74年に入ってからも猪木とシンの抗争は色褪せることなく、6月20日の蔵前国技館ではシンが猪木の顔面に炎を投げつければ、6日後の大阪府立体育会館における再戦では、猪木がシンの右腕を鉄柱攻撃とアームブリーカーで骨折させるという壮絶な幕切れに。

 シンと出会う以前の猪木は、カール・ゴッチの流れを汲むテクニシャンのイメージが強かったが、シンとの抗争で怒りの感情を爆発させ、そこから〝燃える闘魂〟という独自のカラーが生まれた。

 緊張感溢れる実力日本一路線、そして激化の一途を辿る猪木とシンの抗争によって、NETの「金曜夜8時のプロレス」の視聴率は上昇カーブを描き、新日本は黄金時代を迎える。

 全日本プロレスで、この猪木vsシンに対抗したのはザ・デストロイヤーとアブドーラ・ザ・ブッチャーの抗争だ。

「ファンがプロレスという非日常の世界に求めているのはバイオレンス。私がトップ・レスラーになれたのは、それをしないと人の心を惹きつけられないということを理解し、実践したからだ」というプロレス論を持つブッチャーは74年4月13日、船橋ヘルスセンターにおける「第2回チャンピオン・カーニバル」トーナメント1回戦でデストロイヤー相手にファンの想像の上を行くバイオレンス性を発揮してヒールとしての存在感をアピールした。

 ブッチャーが棒状の凶器や叩き割ったビール瓶のザクザクになった部分をデストロイヤーのマスクに突き立て、白覆面がバーッと赤く染まっていくシーンは衝撃的だった。

 試合は無効試合に終わり、2人のトーナメント1回戦はその後、3回も行われたが、無効試合か両者リングアウトになり、最終的には両者ともに失格。その抗争は75年12月まで1年半も続いた。

 一流外国人が売りの全日本だったが、対新日本の切り札は〝黒い呪術師〟ブッチャーだったのだ。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

スポーツ