「拓郎の魅力の1つは茶目っ気のある笑顔なんだ。『つま恋』ではいつものコンサートでは見たことのない屈託のないとびっきりの笑顔を見せていた。それどころかエレキをかき鳴らしながら踊っていた。今まで拓郎が踊るなんて見たことがなかった。5万の客が踊らせたんだろうね。それくらい拓郎もハッピーだったと思うよ」(山田パンダ氏)
「つま恋」での拓郎のステージに感銘を受けた山田氏はこの感動を残すために拓郎にある提案をしたという。
「夜明け前にやった『落陽』に感銘を受けてね。拓郎に『つま恋』での感動を僕なりに歌いたいと言ったら『おーいいよ』と応援してくれたんだ。それで、『つま恋』の直後にレコーディングした。もちろんこの曲は拓郎の金字塔だけど、僕なりに『落陽』の世界を広げることができたと思っている」(山田氏)
さらに山田氏はもう1人の盟友との秘話も明かしてくれた。
「99年のかぐや姫の再々結成は拓郎と陽水がきっかけだった。福岡でこうせつのコンサートにゲスト出演していた2人から電話で、最初は拓郎が『お前、明日来い』。次に陽水に代わると『パンちゃん、新幹線に飛び乗れば間に合うけん。待っとるよ』と呼び出されたんだ。その暮れの紅白にかぐや姫で出場し、翌年から全国ツアーを行った。拓郎、陽水は東西の横綱だな。2人は多くの人に刺激や影響を与えてきたからね」(山田氏)
「つま恋」で、解散したばかりのかぐや姫を一夜限定で再結成させたのが拓郎だったが、今度は陽水との強烈タッグで22年ぶりにかぐや姫の再々結成という奇跡を起こしていたのだ。
かく言う山田氏だが、かぐや姫時代は拓郎と同級生と1歳サバを読んでいた。
「拓郎のプロフィールを見てアレッとなって(笑)。だって拓郎より年上なんてこりゃまずいでしょ。06年の2度目の『つま恋』の時にカミングアウトしたら、拓郎に「今さら何言ってんだバカヤロー! アイドルじゃあるまいし」ってどやされたよ(笑)。つま恋当時は夜中に電話でペニーレインによく呼び出された。僕は原宿に住んでたから10分で着くと、拓郎は『早いなー』って驚いてたけどさ。ドラマの主題歌を歌えたのは拓郎のおかげだと思っている」
山田氏同様に拓郎、陽水に触発されたミュージシャンは枚挙に暇がない。
芸能評論家の宝泉薫氏が解説する。
「浜田省吾、矢沢永吉、長渕剛など拓郎の成功を見て、同じように成り上がることを目指した。安全地帯の玉置浩二を引き上げたのが陽水、奥田民生も陽水との共演でハクをつけたと言える。ただ、2人とも本人の音楽的資質だけでなく時代の巡り合わせも加味してここまで大きくなった一代年寄だけに、もう第2の拓郎・陽水は出てこない」
79年、拓郎が断行した愛知県・篠島での離島ライブで〝帰れコール〟を受けた長渕剛が、故郷・鹿児島の桜島野外ライブを行ったのは2000年を大きく超えてからのことだった。まさに拓郎・陽水こそが不世出のスーパースターと言えるに違いない。
*「吉田拓郎と井上陽水」それぞれの引き際(6)につづく