1972年3月66日にアントニオ猪木が東京・大田区体育館(現・大田区総合体育館)で旗揚げした新日本プロレス、同年10月22日にジャイアント馬場が東京・日大講堂で旗揚げした全日本プロレスが今年2022年で50周年を迎えた。
振り返ると、力道山が創設した日本プロレスは、わずか19年で崩壊している。なぜ新日本と全日本は半世紀も続いてきたのか? その根源にあったのは馬場と猪木の対立だ。少なくとも80年代の終わりまでは馬場と猪木の対立が日本のプロレスの歴史を創ったと言っても過言ではない。
新日本と全日本の半世紀に及ぶ闘争の歴史を振り返るには、まず両雄の関係を紐解く必要がある。
1957年2月、中学2年生の時に一家でブラジルに移住した猪木は、59年に全ブラジル陸上競技大会の円盤投げで優勝。翌60年3月にブラジルに遠征した際に、その評判を聞きつけた力道山にスカウトされて同年4月10日に3年ぶりに日本の土を踏んだ。
その翌日、東京・中央区浪花町の力道山道場に入門を直訴しにやってきたのが馬場正平だ。三条実業高校野球部のエースだった馬場は54年11月に読売ジャイアンツにスカウトされたが、59年11月に戦力外通告を受けた。60年2月の大洋ホエールズの明石キャンプにテスト生として参加したものの、左肘の筋を切断して野球を断念。209センチの巨体を生かすべくプロレスに第2の人生を賭けたのだ。馬場22歳、猪木17歳‥‥この日が2人の出会いだった。
4月11日から一緒に練習を始め、デビューはともに同年9月30日の東京・台東区体育館。まさに「宿命の」という表現がぴったりのライバル関係が最初からできていたのである。
だが、2人に当初からライバル意識があったわけではない。男7人、女4人の11人兄弟の六男として育った猪木は、5歳年上で社会人経験もある馬場を兄のように思い、ブカブカの背広を貰ったこともあった。
馬場はエリート、猪木は雑草とよく言われるが、それは2人のライバル・ストーリーを描く上でのマスコミの創作だ。力道山が元ジャイアンツの投手で2メートルを超す巨体の馬場を即戦力として売り出し、未成年の猪木を内弟子として自宅に住まわせて「3年先」を見据えてスパルタで鍛えたのは当然のことだろう。
猪木は神奈川県横浜市生まれだが、力道山が「サンパウロ州マリリア市生まれの日系2世」という触れ込みで日本に連れ帰ったのは、やはり将来の売り出しを考えてのことだ。
若手時代の馬場と猪木の差は圧倒的だった。馬場はデビュー9カ月後の61年7月1日に米国武者修行に出発するが、それまでの両者の対戦成績は馬場の7戦全勝。63年3月に馬場が凱旋帰国した後の対戦成績も馬場の9戦全勝。
当時の猪木にとって馬場はライバル視する存在ではなかった。馬場が帰国した夜、猪木は合宿所の自室に馬場を泊めてアメリカの土産話を聞かせてもらい、夢を膨らませたという。
■「馬場さんには負けない」という自信
63年12月15日、暴漢に刺されて入院していた力道山が急逝。2人の運命が大きく動き出す。馬場は力道山亡き後の日本プロレスの新エースとして、63年10月から遠征していたアメリカから64年4月3日に帰国。入れ替わるように猪木は馬場帰国の1カ月前の3月9日にアメリカ武者修行へ。
ハワイで海外初試合を経験した猪木は米本土のロサンゼルスへ。現地には日本に帰る直前の馬場がいて、2人はリトルトーキョーの日本料理店「若柳」で食事をしている。馬場は猪木にアメリカでの生活のアドバイスをし、猪木は馬場に新体制になった日プロの状況を教えた。そして別れ際に馬場は「帰国する俺には必要ないから」と、猪木の胸ポケットにドル紙幣を入れた。猪木は「あの時はジーンときた」と振り返る。
そんな猪木が馬場にライバル意識を持ったのは66年3月に2年間の米国修行を終えて帰国する時だ。馬場は65年11月に力道山の遺産インターナショナル・ヘビー級王座を受け継いで日プロのエースになったが、テネシーでヒロ・マツダと組んでNWA世界タッグ王者になった猪木は「馬場さんには負けない」という自信をつけていた。
猪木は3月12日にハワイで馬場、吉村道明と合流。4月の「第8回ワールド・リーグ戦」への凱旋を前にした合同特訓だったが、そこに割って入ったのが前年暮れに公金横領で日プロ社長の座を追われた豊登だ。猪木は若手時代、豊登に可愛がられていた。
新団体・東京プロレスを設立した豊登は、猪木が馬場らと帰国する3月19日午前に密かにハワイ入り。猪木を呼び出して「寛至(猪木の本名)が来てくれれば、エース兼社長にする。このまま日プロに戻っても永久に馬場の下になるだけだ」と口説いた。
野望に燃える23歳の猪木には魅力的な言葉だった。猪木は豊登と行動をともにして、帰国をキャンセル。新天地で馬場と勝負することを決意した。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。