大坂なおみ「黒人差別」に抗議の棄権!「対戦相手に失礼」批判が的外れな理由

 女子プロテニスの大坂なおみが、出場中の大会「ウエスタン・アンド・サザン・オープン」において、8月27日に出場予定だった準決勝を棄権した(※その後、出場を表明)。同23日にアメリカで発生した警官による黒人男性銃撃事件への抗議を示すもの。

 大坂はツイッターで声明を発表し、「黒人女性としては、テニスをしているのを見るよりも、すぐに気をつけなければならない重要な事柄があるように感じます」「大多数の白人スポーツの中で会話を始めることができれば、正しい方向への一歩だと思います」といった想いを綴っている。意外にも、大坂に対して日本では批判の声が沸き起こっているようだ。

「ツイッター上では《スポーツに主義主張を持ち込まないで》《応援していたのに残念》といった声が続出。《優勝することで黒人女性はスゴいってアピールすればいいのに》といった意見も少なくありません。そういった一般人の声に加えて、日刊スポーツのテニス担当記者が、準々決勝で大坂に敗れた選手について触れたうえで、『やはり棄権には違和感が残る』と書くなど、大坂の行動に否定的な人は少なくないようです。それに対して大坂に賛同する人たちは、アメリカでの黒人差別がいかに酷いものかを強調していますが、これも大坂がなぜ棄権に至ったのかを説明するには不十分ではないでしょうか」(スポーツ系ライター)

 もちろん大坂が棄権という行動に出たのは、黒人差別への反対が「第一義」であることは間違いない。しかし彼女の行為を理解するためには、日米におけるスポーツに対する意識の違いに目を向ける必要があるという。

「アメリカではボランティアなど社会的な活動に関わるプロスポーツ選手がよく『Just a game』(たかがスポーツに過ぎない)との言葉を口にします。世の中や人生にはスポーツよりも大事なことがある、といった意味です。これが何事にも真剣に取り組むことを是とする日本人にはどうにもピンとこないのでしょう。日本では“野球道”のように、何かを究めるための道としてスポーツを捉える風潮があり、そこから生まれる発想が《相手に失礼》というもの。大坂の棄権でいえば、やはり準々決勝の対戦相手のアネット・コンタベイト(エストニア)に対して失礼との声が出ています。しかしその発想は少なくともアメリカ人にはまったく理解できないし、当のコンタベイト自身にも失礼うんぬんという発想はないはず。なんでもかんでも欧米基準に合わせる必要はありませんが、世界を舞台に戦っている大坂を、日本国内の狭いスポーツ観を根拠に批判するのはあまりに失当ではないでしょうか」(前出・スポーツ系ライター)

 そんな大坂の行動は、ハリウッドセレブの言動を見れば理解しやすくなるという。スポーツ系ライターが続ける。

「ハリウッドセレブたちが差別や貧困といった問題に積極的に声をあげるのは、自分たちが芸能界での成功という大きな果実を得ているのは社会のおかげという意識があるから。それゆえ社会問題に声をあげることは、自分たちに課せられた使命との想いすら抱いています。同様に大坂のようなプロスポーツ選手たちも、自分たちの特権的な地位を社会のために活かすことが使命だと考えており、その手段として“棄権”も有効な方法となるわけです。プロバスケのNBAでも選手が試合をボイコットするなど棄権の動きは広まっています」

 7月には米国五輪・パラリンピック委員会の選手諮問委員会が国際オリンピック委員会(IOC)に対して、五輪での政治的な抗議を禁じる五輪憲章第50条の廃止と、新たな方針の策定を求める書簡を送っている。このようにアメリカでは「スポーツに政治や思想を持ち込むな」という発想自体に、大きな「NO」が付きつけられていることを知っておくべきかもしれない。

(北野大知)

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