江本孟紀が「原辰徳名将論」を語り尽くす!クビ直後の屈辱エピソードとは?

 もはやG党にとっては永遠の若大将ではなく「読売巨人軍の総大将」と呼べる存在だろう。監督復帰1年目で低迷していたチームを立て直しリーグ優勝、今季も開幕から首位をひた走る。ジャイアンツ・原辰徳監督が「名将」であるゆえんを、江本孟紀氏が語り尽くした。

 7月14日の広島カープ戦で監督通算1035勝を達成し、今季中には、V9達成の川上哲治氏が打ち立てた球団記録1066勝の更新も確実視される原辰徳監督(61)。しかし、その手腕については、すでに鬼籍に入った野村克也氏や星野仙一氏、あるいはライバル球団でしのぎを削った落合博満氏らに比べて評価されてきたとは言いがたい。

「金満球団で戦力がそろった巨人だから勝てるんだ」

 アンチ巨人ならずとも、そんな声を聞いたことは少なくないだろう。その言に異を唱えるのは、プロ野球解説者の江本孟紀氏(72)である。

「アホなこと言っちゃいかん、と。昨季、原監督が復帰した巨人はリーグ優勝しましたが、他球団よりも戦力的に劣っていたうえに、頼みのエース・菅野も負傷リタイアを繰り返していたじゃないですか。私は現在の12球団の監督の中でも唯一、原監督だけが『名将』と呼べる存在だと思っています」

 その根拠について江本氏に解説願う前に、原監督の指導者歴を振り返ろう。

 95年の現役引退後、評論家時代を経て98年オフにコーチ復帰。長嶋終身名誉監督のもとで帝王学を学び、01年オフに巨人初となる戦後生まれの監督として正式就任した。

 監督初年度は日本一に輝くも、2年で監督を辞任。その後05年オフに2年ぶりに監督に返り咲き、15年までの長期政権で2度の日本一を含む6度のリーグ優勝を達成、勇退する。そして昨季の、3度目の復帰である。

「確かに私も、最初に監督就任した頃は『巨人という組織の敷いたレールに乗せられた監督』という以上のイメージは抱いていませんでした。そこで、わずか2シーズンでの辞任。当時は『読売内での人事異動だ』なんて発表してましたが、早い話がクビですよ」

 そう語る江本氏は、まさにその辞任発表後、消化試合のグラウンド上で原監督と接触したそうだ。すると開口一番、あっけらかんと、

「あ、江本さん! クビになりました」

 と告げられた。

「こっちはどうにかその話に触れないように、と思っていたから驚きました。少し立ち話をして『じゃあ頑張って』と立ち去ろうとしたんです。そしたら呼び止められた。振り向くと鬼の形相で『こんな屈辱は人生で初めてですから!』と吐き出すように言ったんですよ。相当悔しかったし、たまってるものがあったんでしょうね。この苦い体験が、原辰徳という野球人を名将にしたのです」(江本氏)

 原監督の人生の転機は、「レール」の上から叩き落とされ、どん底から再スタートを強いられたことにあったのだ。

「今でも多くの人が『エリートでお坊ちゃん』『苦労知らず』『さわやかな若大将』という現役時代の原監督のイメージを持っていると思います。でも、実際は相当の苦労人。ドラ1のエリートだ何だと言っても、あの巨人の4番ですから、それに見合う成績を残さなければいけないのです」(江本氏)

 エリートの王道を歩むには、とんでもない重圧に打ち勝つ必要がある。そして、その道を歩んだ先に待っていたのが「クビ」という、非情な現実だった。原監督にしてみれば、こんな皮肉な結末を許すわけにはいかなかったはずだ。

「『絶対に成功してやる、見返してやる』というバネになったことは間違いないでしょうね。2年後、堀内巨人のBクラス低迷で早々に復帰することが決まりましたが、そこからの原監督は『自分は勝つために、こういう野球をするんだ』という、非常に強い信念を持った指導者に生まれ変わったと思います」(江本氏)

 江本氏の考察を補強するように、第2次原政権で12年から14年まで、1軍戦略コーチと1軍打撃コーチを歴任した現BCリーグ・新潟アルビレックスBCの橋上秀樹総合コーチが次のように証言する。

「私が現役からコーチ時代にかけて関わってきた全ての監督の中で、いちばん非情になれる、勝負に徹する采配ができる監督は、間違いなく原さんでした。ある意味、巨人という球団の宿命でもあると思うのですが、『勝利以外に価値はない』ということが身に染みていたようです」

 橋上氏は、先に名前の挙がった野村克也監督のもとでもコーチを務めていたが、ID野球を標榜する野村氏ですら、主力選手のプライドを傷つけたり、士気を下げたりしないか、ということには非常に敏感だったという。

「情や選手のプライドを考慮して起用することは珍しくなかったし、私自身そうするのが当たり前だという考えでいました。ですが、原さんにはそういう遠慮が一切なかった。チームが勝つことが最優先で、4番だろうと対戦成績が悪ければ代打を送る。そんな選手起用にためらいはなかった。あそこまで徹底した監督に初めて会ったので、私も巨人入り当初は違和感を覚えていたくらいです」(橋上氏)

 辛酸を舐め尽くして「勝負の鬼」としてグラウンドに帰ってきた原監督。以後、球界の常識からはかけ離れた「勝利の一手」を次々と繰り出すことになる。

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