ノムさん直伝「高津再生工場」の真骨頂!小澤怜史が戦力外からチーム勝ち頭に
「再生工場」のヒミツが見えてきた。東京ヤクルト・小澤怜史が、チームトップに並ぶ5勝目をマークしたのは8月6日の中日戦だった。リリーフから先発に転向したのが今年6月、2020年オフ、福岡ソフトバンクから...
「再生工場」のヒミツが見えてきた。東京ヤクルト・小澤怜史が、チームトップに並ぶ5勝目をマークしたのは8月6日の中日戦だった。リリーフから先発に転向したのが今年6月、2020年オフ、福岡ソフトバンクから...
一方で、野村克也である。58年のシーズンに入ると悩むようになった。突然、思うように打てなくなったのである。 54年にテスト生として入団した時は、契約金ゼロで年俸は8万4000円、月給で7000円...
1958年8月6日、巨人・長嶋茂雄は対広島17回戦(広島)で、打撃の神様と呼ばれた川上哲治に代わって初めて4番に座った。水原茂監督(当時は円裕)の大抜擢だ。 球界を代表する「巨人の4番打者」に、...
野村が正捕手への足場を築いたのは56年だ。マスクを被る機会には恵まれたものの、打撃がなかなか向上しない。先輩の松井淳にリードでは勝てない。経験、実績が違う。勝つにはバットしかなかった。野村は「打てる...
1958年4月5日、後楽園球場は4万5000人の大観衆で膨れ上がっていた。4連覇を狙う巨人の開幕戦だ。相手は前年4位の国鉄(現ヤクルト)。13時半試合開始。 この試合で22歳の黄金ルーキー・長嶋...
翌年の2月15日、長嶋は東京駅旧東海道線の15番ホームに立った。夜行列車である。立大の野球部員とともに、南海入りを決めていた杉浦が激励した。キャンプ地・明石までは12時間の長旅だ。 到着した当日...
兵庫県明石駅ホームに夜行列車「急行さつま」が滑り込んだ。1958年2月16日午前9時45分だった。 三等車の指定席から1メートル79センチ、78キロの大柄な青年が降り立った。学生服姿だ。4日後の...
野村克也にとっても、57年は大きな飛躍の年になった。プロ入り4年目、22歳にして30本塁打を放って、初のタイトルである本塁打王を獲得した。前年は7本塁打だった。 野村は「ずっと試合に出してもらえ...
1957年11月3日、文化の日だった。午後1時35分、明治神宮野球場で東京六大学野球・立教大学対慶応大学2回戦のプレーボールがかかった。 0対0で迎えた5回裏、立大4年・長嶋茂雄が先頭打者として...
53年11月23日、18歳の野村克也は大阪球場で南海(現ソフトバンク)の入団テストを受けていた。もちろん合格したのだが、1本の本塁打が決め手となった。 35年6月29日、野村は京都府竹野郡網野町...