どうやらキャッチャー談議に興が乗ってきた野村氏。自身の経験も交えながら、チームにおける捕手の重要性を説き始めた。
私自身、ラッキーな身ではあるんですよ。ファンでも何でもないし興味もなかったけど、キャッチャーがいないところを探してたまたま南海に入団テストを受けに行った。当然、ダメもと。まさか受かるとは思ってなかったね。
7人合格して、キャッチャーはそのうち4人でした。全員、田舎者。今でも覚えてるけど、4人とも住所に「〇〇郡」と郡がついてた。実はこれもラッキーで、要するに、球団は即戦力じゃなくてブルペンキャッチャーが欲しかったんだな。入団後に2軍のキャプテンから聞いたから間違いない。「クビにする時も楽だから、田舎者がいちばんいい」。それを聞いた時はすぐに辞めて帰ろうかと思ったな。
ところが3年目、春のハワイキャンプで潮目が変わったという。野村氏は、2軍から唯一、帯同を許可された。
初めは用具係みたいな雑用ばっかりやったけど、いざ向こうのチームとオープン戦をやることになったら、レギュラーの選手がケガで出られなかったり何だりで、「野村、お前が行け」ということになった。それで10試合くらい、全部出て全部勝って。新人賞をもらいましたわ。
当時の南海を率いていたのは、日本球界の「三大監督」と言われた鶴岡一人さん。絶対に自軍の選手をほめないことで有名だけど、日本に戻ってからのキャンプ談話で「ハワイキャンプは大失敗だったが、唯一の収穫は野村に使えるメドがついた」と言われたんだよ。これはうれしかった。名監督と呼ばれる人の御多分に漏れず、鶴岡監督も捕手を重要視する人でしたから。
レギュラーで試合に出るようになってから感じたのは、キャッチャーというポジションはゲーム中には監督以上のことをやって、野球という筋書きのないドラマを作るということ。でも、こっちが1球1球考えてサイン出しても、先発が完投して相手を抑えたら、ヒーローは必ずピッチャー。いっつもヒーローインタビューをベンチで聞きながら「俺のおかげだろう!」とブツブツ言ってた。それでボヤキのノムさんが出来上がったんだけど(笑)、まあ大変なポジションですよ。