監督時代には、長嶋氏へのジェラシーを隠さなかった。監督としての晩年を知る前出の山﨑氏が明かす。
「長嶋さんには最後まで対抗心を持っていましたよ。『何も考えずに本能のままに打つんだよな』『俺が打っても紙面は長嶋なんだよな』なんてボヤいていましたよ。選手としての実績は長嶋さんよりも上なのに、光が当たらないもんだからじくじたる思いがあったのでしょう」
選手時代の嫉妬心そのままに最も舌戦を繰り広げたのは、同一リーグのライバルだったヤクルト時代だ。
「ノムさんが試合後の囲み取材で『巨人なんてあの戦力だから誰が監督をやっても勝てるよ』なんて長嶋さんを挑発するもんだから、売り言葉に買い言葉の応酬だった。でも長嶋さんにどうして応戦するのか聞いてみると『ノムさんが盛り上げるためにあおっているんだから、俺も挑発に乗っかっているんだ』と」(ベテラン記者)
球界の発展を願う気持ちは一緒だったようだ。
犬猿の仲とマスコミにあおられながらも、93年から97年まで仲よく交互にリーグ優勝している。そんな数年間の2人の関係性を表すハイライトをご紹介しよう。
「94年のシーズン中盤、ヤクルト対巨人戦の試合前に『長嶋に言っとけ。(巨人が)日本一になるためには俺をヘッドコーチに雇え。長嶋が監督で俺がヘッドコーチ。そうすれば日本一のチームになる』と〝野村節〟が炸裂しました。それをミスターに伝えたところ、『へぇ?、ノムさん、そんなこと言ってたの。ヘヘヘヘ‥‥』とまんざらでもない顔で喜んでいた」(球界関係者)
くしくも、この年に長嶋ジャイアンツは初の日本一を達成する。結果として敵に塩を送るような激励になったわけだが、先の球界関係者は「ノムさんとミスターは互いを認め合っていましたよ」と話し、表向きほど険悪な間柄だったわけではなかったようだ。
「息子・一茂が巨人へトレード移籍したのも長嶋─野村というホットラインがあったから実現したという話です」(球界関係者)
ONと付かず離れずの距離感を保った野村氏だが、もちろん悪態をつくことも忘れない。
「王さん、長嶋さんと好みの女性に関する話をしたこともあったようです。『長嶋や王だって男だから、浮気することもあるけど、取り巻きやマスコミが潰すんだよ』とニヤリとしていたことがありました」(プロ野球中継スタッフ)
光ある所にはしっかりとした影がある。