現役からの唯一の親友が、巨人で「V9の頭脳」であった森祇晶氏。同じ捕手で、その後も監督として森氏は西武で黄金時代を築き、ヤクルトを率いる野村氏と日本シリーズで対決するなど、何かと共通項が多く、ウマが合ったようだ。
森氏が西武を出て横浜監督就任前の評論家だった頃、スポーツ紙デスクは野村氏から直接こうボヤかれたという。
「こないだ森がウチ(自宅)に来たんや。そしたら『ノムさん、いい服着てますね』と。あいつはウチに来るたびにクローゼットを開けて、勝手に俺の服を着て帰るんや。買ったばかりのジャケットやコートもな。ベルサーチやぞ。あいつはホンマにケチや」
うれしそうに憎まれ口を叩く姿が目に浮かぶようだ。
角氏も、グラウンド外での野村氏とのマル秘交遊録を打ち明けてくれた。
「一緒に銀座のクラブに行くことも何度かありました。監督はお酒を一滴も飲まないから、高い高いコーヒーですよ(笑)。おっぱいの大きい子が好きで、席に着いた女の子の胸が小さければ、『ママ、ごめん、チェンジチェンジ』と言うのが僕の仕事でした。ご本人から聞いたのは、お母さんと中学生ぐらいまで一緒に風呂に入っていたらしくて、そこで胸を触って怒られたりしていたんだと。『だから俺はおっぱい星人なんや』って言っていましたね」
母子家庭に育った野村氏は、講演などでも母親からの強い影響や、マザコンであることを公言していた。母性の象徴として、胸の大きな女性に引かれていたのかもしれない。それを裏付けるこんなウラ話も。
「プロ野球の現場には、女子アナや、各社の若手美人記者が何人も出入りしています。ノムさんは女性にはジェントルな人でしたが、多少年齢が上でも、ぽっちゃりした女性記者には特に優しかったですね。サッチーを選んだのも、自分を厳しく律してくれて、豊満な体で尻に敷いてくれるという、マザコンのノムさんが求めるものを全て兼ね備えていたからだと思います」(スポーツ紙デスク)
17年12月に他界した沙知代夫人は、球界きっての猛妻として世間の評価が分かれるが、それでも野村氏にとっては何物にも代えがたい存在だった。近しい関係者が語る。
「野村さんが沙知代さんに頭が上がらなかったのは、永遠の野球小僧で、他のことは何もできなかったからですよ。辣腕芸能マネージャー的な存在の沙知代さんが、生活から仕事まで全て仕切っていました」
沙知代夫人と連れ添ったことで、野村氏の人生は激しくドラマチックになった。南海時代、不貞関係にあった沙知代夫人との交際問題が退団のきっかけになったことは有名だが、
「実はそのあとに移籍したロッテでも、金田正一監督の後任監督になることがほぼ内定していた。そこで先走った沙知代さんが内示前に村田兆治氏ら主力選手にあいさつの電話をかけるなど大暴走して、フロントが大激怒。話が流れたこともありました」(球界関係者)
しかし一方で、野村氏の野球人としての道を切り開いてきたのもまた、沙知代夫人だったのである。
「縁もゆかりもないヤクルトで監督になれたのは、沙知代さんのおかげ。懇意にしているヤクルト本社の関係者を通じて、野村さんを売り込んだんです。野村さん本人は『当時の相馬和夫球団社長の熱意に胸を打たれた』とあちこちで語っていますが、裏側にはそんな内助の功があったんです」(球界関係者)
昭和と平成のプロ野球を表と裏で支えた巨星に合掌─。