中国と世界の「国境」に対する認識が天と地ほどに違うことが明らかになった。
きっかけは、東京電力が福島第一原発処理水の海洋放出を始めた4日後の8月28日、中国・自然資源省が発表した「2023年版標準地図」だ。
中国はこれまで南シナ海の領有権を主張するために、断続する9つの線の連なりで成る境界線を一方的に設定し、「九段線」と呼んできた。その9本の線にさらに、台湾を囲い込む線を1本増やし、南シナ海の90%に中国の権益が及ぶ「十段線」として新たに設定したのだ。
これには台湾はむろん、周辺国が一斉に反発した。南シナ海の小島や岩礁をめぐって中国と争うフィリピン、ベトナム、マレーシアは九段線そのものが無効だと争っている。紛争は海洋ばかりではない。地上ではインドと数十年の戦いを続け、ネパール、ブータンは中国の力の前に、爪で領土を掻き盗られるように侵されている。
周辺国ばかりか西側先進国の怒りの声に、中国外務省の汪文斌報道官は「関係国が客観的で理性的な対応をすべきだ」と述べた。相手を小ばかにした上から目線の言い分は中国特有のものだ。
彼らが主張する理由は、実にハッキリしている。もともと中国には「国境」という概念も言葉もなかったからだ。こう言うと、「そんな馬鹿なことがあるか。漢字は中国から伝来した」と反論する人もいるだろう。
しかし、「国境」という言葉は中国語になかった。少なくとも、清国が日清戦争で日本に敗れ、日本に学べと大量の留学生を送るまではなかった。
「国境」の言葉は中国人留学生が経済、文化、人権、選挙、会社、株式、会計などとともに、中国が日本から学んだうちの一つである。
4000年の歴史を持ち、漢字を発明した中国で何故、国境の言葉が生まれなかったのか。
中国4000年の歴史を概観すれば、それは王朝の興亡である。王朝の興亡で起こったのが、領土の収奪と喪失の繰り返しである。そのため中国の王朝は国の周りに「緩衝地帯」を設けることが当たり前だった。国家の興亡により、国境を意味する緩衝地帯を奪ったり、収奪されたりの変化を繰り返したのだ。そして、この緩衝地帯を「辺彊」と呼んだ。
つまり、「国境」という言葉は生まれようがなかった。その代わり、領土を取り戻すという意味の「領土完整」という言葉が生まれた。これは国際機関から認められたことを前提とする先進国の国境観からすると、驚くべき発想である。
だから毛沢東は日本敗戦後のどさくさに紛れて、内モンゴル、チベット、新彊ウイグルを「領土完整」の発想で併合し、さらに朝鮮半島、樺太、台湾をも狙った。
そして2013年、「中華の夢」を掲げて国家主席に就任した習近平は、中国が歴史上もっとも繁栄した明の時代の勢力範囲だったアフリカ、ポーランド、ロシア、樺太、南アジアの「領土完整」を夢見ているのである。
それが、「十段線」設定の狙いだと筆者はみている。
(団勇人/ジャーナリス)