山本 長州が新日本を離脱する時に「お前、新日本を飛び出すんだったら、俺の悪口を散々言え」と。そういうアイデアはあるんですよ。でもデザイン的なアイデアはゼロですから。猪木さんの最大の演出は舌出し事件(83年6月2日、蔵前国技館におけるハルク・ホーガン戦でアックス・ボンバーを食らって場外に転倒し、舌を出して失神KO負け)ですよ。全ての人間を騙したんだから。
夢枕 あの時、僕は会場にいましたから。僕はああいうことがあると、誰がオロオロしているか見るんですけど、けっこうみんなオロオロしてたから「これは本当かよ?」みたいな感じでしたね。
山本 藤原喜明さんだけは坂口(征二)さんに「あんた、プロレス何年やってるんですか?」って(笑)。有名な話で、坂口さんが「人間不信」と書いた紙を事務所の机に置いていなくなってしまったという。
夢枕 今思うと、いい話ですね、どれも(笑)。当事者はたまらなかっただろうけど。勝ったホーガンもリング上で「俺はどうしたらいいんだ?」っていう顔をしてましたよね。
山本 あれをきっかけに、ホーガンはアメリカで大ブレイクするわけですね。
小佐野 そういう意味ではシンを創って、スタン・ハンセンを創って、ホーガンを創って‥‥猪木さんはスターを創ってるんですよ。
夢枕 ビル・ロビンソンだって猪木さんが創ったようなものじゃないですか。ロビンソンはもともとヨーロッパで人気があって、国際プロレスに来たりしてましたけど、ステージを上げたのは猪木戦ですよね、僕的には。
小佐野 あの60分引き分け(75年12月11日)は、実は猪木さんはあんまり気に入っていないんですよね。
山本 ロビンソンは自分のペースでしか試合をしない人なんですよ。
小佐野 だから、あの試合は猪木さんの試合じゃないんですよね。
夢枕 猪木さんのどういうところが一番好きでしたか? 琴線に触れたというか。
山本 猪木さんはサプライズだとか、アクシデントだとか、予定調和は嫌いだとか言うんだけれども、試合中に突然ルール破りのことをやるじゃないですか。あれを見たいために、猪木さんのえげつないやり方を密かに楽しみに観ているというか、待っているというか。
夢枕 そういうところが多かったですよね、猪木さんの試合には。こっちに期待値があると裏切るんだけど、それがまたマイナスじゃない裏切り方みたいなことをするのが好きでしたね。
山本 人の期待を裏切ることは、人の期待に応える最大のことだろうというのが猪木さんの考えですよ。
小佐野 でも一歩間違えると、蔵前国技館、大阪城ホール、両国国技館‥‥大暴動が起きてしまうわけですよ。
山本 海賊男の時も偶然に身を任せて、リアリズムが爆発するわけじゃないですか。そこが楽しいじゃないですか。海賊男は、フロリダに行った時に「海賊祭」というのがあって、それを見て「これだ!」と。
夢枕 猪木さんは「完璧な何でもあり」ですよね。
山本 それは何も計画性もないし、プランがないからできるわけ。
小佐野 たまたま海賊男の話になったら「何でマスコミは海賊男を面白おかしく転がせなかったんだ?」って怒ってましたね。
夢枕 猪木さんは「マスコミが盛り上げてくれなかったからだ」と。それはマスコミも困るよね(笑)。
夢枕獏:作家。77年のデビュー以降、数々の文学賞を受賞する一方でプロレス・格闘技の熱心な信奉者としても知られる。テレビで放送された猪木の試合は全て観ているというマニア。
ターザン山本:元「週刊プロレス編集長」としては、むしろジャイアント馬場に近い存在だった。しかしアントニオ猪木に煙たがられる存在となりながらも、実は人生を賭けたほどの大ファン。
小佐野景浩:元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。高校時代に新日本プロレスのファンクラブ「炎のファイター」を立ち上げた生粋の猪木信者。