「アントニオ猪木を語り尽くそう」(7)日本人のDNAに訴えかけた/夢枕獏×ターザン山本×小佐野景浩スペシャル座談会

山本 でも猪木さんの最高の芸術は、やっぱり異種格闘技戦だよね。格闘技なんだけどプロレスだから。

小佐野 わけのわからない相手とちゃんと試合を成立させたのは凄いですよ。

夢枕 猪木は「俺はホウキとでもプロレスができる」って言った人でしょ。格闘技戦は、基本的にはプロレスだったと思うんだけど、でも僕は騙されてよかったと思いますよ。あれがなければ、UWFがないわけじゃないですか。UWFがなければパンクラスも修斗もなかったし、ブラジルからアメリカ経由でUFCが日本にやって来た時に対応できたのは、猪木遺伝子が散らばっていたからですよ。そういう意味ではみんな、猪木に騙されたからこそ、存在したわけですよね。

小佐野 猪木さんの異種格闘技戦によってベニー・ユキーデとかが出てきて第1次格闘技ブームになり、そこから佐山聡も格闘技に目覚めるわけですから。

夢枕 猪木さんはモハメド・アリともやり、モンスターマンとやり、タッキー(滝沢秀明)ともやったでしょ? ジャニーズともやったというのが猪木さんの幅が広いところだね。

山本 猪木さんを定義する場合は、今、世界はボーダレスになって世界基準‥‥インターネットなどで民族とかそういうものを超えて共通ルールになっているわけですよ。でも、猪木さんは「闘魂」という文字を出したようにジャパニーズ基準なんだよね。日本的DNAの何かドロドロしたものが最後まで残っていて、アメリカ的なエンタメとしてのプロレス‥‥馬場さん流のブロードウェイ的なものとは差別化されたところに自分のアイデンティティーを持ってやったから、日本ではバカウケしたし、俺たちも馬場さんじゃなく、猪木のほうに行ったわけでしょ。日本人が持っているDNAに訴えかけてくるわけですよ。ジャパニーズ・スタイルというか、ジャパニーズ民族性というか。だからスポーツでもないわけですよ。

夢枕 確かに。猪木は日本の民族の心のどこかにあるものに触れてきますよね。

山本 日本的な情念が全部詰まっていて、それをプロレスに反映させて。猪木さんは今の世の中に残っているジャパニーズ・スタイルの根源みたいな。

夢枕 それが結論だ!

山本 今のZ世代と呼ばれる人たちは生まれた時からSNSがあるから、日本的情念とかはないんだから。そういう意味では、猪木というものを知った僕たちは幸せだよね。ジャパニーズ情念というか、ジャパニーズとしての最後のDNAに触れてしまって、そこが猪木病になっていく原因になったと。今なら俺、馬場さんを応援しますよ(笑)。馬場プロレスは凄いんだもん。

小佐野 だって馬場さんのプロレスは、超一流の俳優を集結させた贅沢なハリウッド映画ですからね。

山本 それを評価しないで、ショッパイ外国人しかいない猪木さんのほうを応援したと(笑)。

小佐野 無名俳優しか出ていない日本映画ですけど、新日本は一流外国人を呼べなかったのが、逆によかったのかもしれませんね。

夢枕 それでよかったんですよ。馬場さんが全部持って行って、そうじゃない人たちで何とかしなきゃいけないから、より差別化したところに突っ込んでいったら、こうなったと。

小佐野 そこにみんながハマッてしまった。

山本 ハマッて、騙されたわけですよ。でも、よく見たら「馬場さんと飯食ったほうがいいな」って(笑)。

夢枕 僕ら、変な言い方をすれば、猪木には騙されてきた。よく言えば、何て凄いファンタジーをいつももらっていたっていうところじゃないですか。何も恨んでないでしょ?

山本 騙されて、完全に猪木病ですよね。不治の病にかかって、一生を棒に振りましたよ。他にやることがあったのに、できなかったもんね。あまりにも猪木さんが面白くて。

夢枕獏:作家。77年のデビュー以降、数々の文学賞を受賞する一方でプロレス・格闘技の熱心な信奉者としても知られる。テレビで放送された猪木の試合は全て観ているというマニア。

ターザン山本:元「週刊プロレス編集長」としては、むしろジャイアント馬場に近い存在だった。しかしアントニオ猪木に煙たがられる存在となりながらも、実は人生を賭けたほどの大ファン。

小佐野景浩:元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。高校時代に新日本プロレスのファンクラブ「炎のファイター」を立ち上げた生粋の猪木信者。

*週刊アサヒ芸能1月19日号掲載

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