新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【18】天才ジャンボ鶴田に翻弄された若き日の長州と天龍

 1977年、新日本プロレスと全日本プロレス両団体に、のちの日本プロレス界の主役になる男が海外武者修行から凱旋帰国した。

 まず3月4日に高崎市体育館で開幕した新日本「第4回ワールド・リーグ戦」に帰国したのが吉田光雄こと長州力だ。

 72年ミュンヘン五輪にレスリング・フリー90キロ級韓国代表として出場した吉田は、全日本のジャンボ鶴田(ミュンヘン五輪レスリング・グレコローマン100キロ以上級日本代表)の対抗馬としてスカウトされて、73年12月6日に新日本プロレスに入団した。

 翌74年8月8日、日大講堂でエル・グレコ相手に白星デビューを飾ると、同月31日にはドイツ・ハノーバーに出発。10月末まで欧州修行を行い、11月からはカール・ゴッチの指導を受けるためにアメリカ・フロリダ州タンパに移った。吉田はオリンピック代表の肩書きを持つ、新日本初のエリート・レスラーなのだ。

 だがフロリダでゴッチと衝突してしまう。学生時代にみっちりとトレーニングをやっていた吉田は、1日も早くプロレス特有の技術を覚えたいと思っていただけに、ゴッチとの反復練習は退屈だった。

 アパートを借りてゴッチの家に通っていた吉田は、ある時、ゴッチが迎えに来ても出ず。翌日からゴッチは来なくなったという。

 また2人が道場に鍵をかけてセメントマッチをやったという話もある。

 こうしてゴッチとの練習を勝手にやめた吉田は、75年1月からミツ・ヨシダのリングネームでフロリダで試合をするようになり、その後はカナダのモントリオール、ニューブランズウィックを転戦して2年半ぶりに凱旋帰国した。

 水色のジャンパー、白のタイツとシューズ、髪にはパーマがかかり、爽やかなアイドル風に変身した吉田はロベルト・ソトとの公式戦が帰国第1戦。現在、プロレスリング・ノアの清宮海斗がフィニッシュ技として使う、ブリッジしながら相手の両腕を極めるダブルアームロック(原爆羽根折り固め)で快勝した。

 ワールド・リーグ戦は全選手総当たりだったが、吉田は優勝した坂口征二、準優勝のマスクド・スーパースターに負けた以外はニコリ・ボルコフと両者リングアウトになっただけで、先輩の星野勘太郎、永源遙、木戸修、トニー・チャールス、ソト、ベラ・ロドリゲスに勝って3位に。

 4月23日からはファン公募(実際はアントニオ猪木が命名)により、故郷の山口県と力道山にちなんで長州力に改名したが‥‥実際には人気は出なかった。当時は鶴田のような華やかな選手がもてはやされる時代だっただけに、ガッチリ体型でいかつい長州がアイドル風に見せようとしてもしっくりこなかったのだ。

 また鶴田を意識してスープレックスを使うなど、のちに人気を博した爆発力よりもテクニックに走ったために本来の持ち味が発揮できず、ブレイクまでここから4年の時間を要した。

 長州の帰国から3カ月後の6月11日、全日本の世田谷区体育館で元大相撲前頭筆頭の天龍源一郎がジャイアント馬場と組んでマリオ・ミラノ&メヒコ・グランデ相手に日本デビュー戦を行った。

 天龍は前年10月15日に全日本に入団すると、同月30日には日本を発ってテキサス州アマリロのドリー・ファンク・ジュニアに預けられて、11月13日にテキサス州ヘレフォードでテッド・デビアス相手に髷をつけたままデビュー。アマリロのファンク一家に預けられ、現地でデビューするというのはジャンボ鶴田が歩んだエリートコースだ。

 だが、相撲の癖が抜けずにプロレスに馴染めなかった天龍は、ドリーの「ジャンボには3カ月したら何も教えることがなくなった」という言葉がプレッシャーだったという。鶴田と同じく各種スープレックスを覚え、さらに鶴田が使っていなかったテリー・ファンクの必殺技ローリング・クレイドルを教えてもらって、日本デビュー戦のフィニッシュにした。

 相撲の匂いを消し、ファンク道場門下生としてアームドラッグや各種スープレックスなどのアメリカン・スタイルのテクニックを披露した天龍だが、皮肉にも一番ファンが沸いたのは相撲の突っ張りだった。

「いかんせん、俺はジャンボの域に達していなかったね。それが俺をがんじがらめにしていく要因になったね。あの頃はミル・マスカラスとかジャンボ鶴田を目指さなきゃいけないもんだと思って、もがいていた」

 と、天龍は振り返る。

 天龍はロッキー羽田とのコンビで「世界オープン・タッグ選手権大会」にも抜擢されたが、年明けには失速して、何度も海外修行に行かされることになる。

 あの時代、長州も天龍もジャンボ鶴田という天才に翻弄されていたと言っても過言ではない。

 テクニックに頼らない、感情を真っ向からぶつけ合うプロレスで2人が火花を散らすようになるのは1985年のことだ。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

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