銀座に買い物に行こうが、京都の寺社仏閣を訪れようが、信州の古城に佇もうが、必ず気が付くことがある。外国人観光客が明らかに増えたのだ。話す言葉を聞くまで同胞と見間違えるようなアジア近隣諸国も多ければ、欧米とおぼしき容貌の観光客も絶え間ない。
官民挙げて「インバウンド振興」を目指してきた経緯にかんがみれば、結構な展開だ。地方活性化の経済的効果に限られない。外交上の効用も大だ。最たるものは、日本のソフトパワーの伸長だろう。
幸い、日本はアジアの国としてはもちろん、主要国の中でもソフトパワーに秀でてきた国だ。しかし、「日本行き」の人気が高まり、かつ、訪日歴のある外国人が増えることによって、そのソフトパワーの裾野が広がり、さらなる向上につながるのは間違いない。
等身大の日本に接してさえいれば、たとえ「軍国主義の再来」などという噴飯物の歴史プロパガンダにさらされても、洗脳されにくくなる面も期待できよう。
そんな中、茨城県や長野県など、インバウンド観光振興に熱心な地方関係者と話すにつれ、気づいた点がいくつかある。
まずは、単に観光客を増やすだけで終わらせてはならないことだ。確かに、客の数が増えれば落としていく金は増える。しかし、そこだけに目を奪われると、オーバーツーリズムを招くのも必定だ。
インバウンド振興を如何にして日本の経済厚生の向上につなげていくかが鍵だろう。
外国からの投資を活用し、他の主要先進国と比較してまだまだ少ない5つ星のホテルを増やしていくべきだ。外国人観光客に宿泊税を課し、関連インフラの整備やサービスの向上に充てるのは遅きに失している。
第二は観光地、リゾートとしての「格」の維持だ。沖縄の離島を訪れた際、そこの首長は、「富裕層ではない中国大陸からの観光客が増えると本土からの観光客が減ってしまう」と吐露していた。まさに、どこからどのような層の観光客を招きたいかは熟慮が必要だ。
その関連で、観光地の中には、中国語やハングル文字での標識だけが目に付く所がある。何のためか、と首をかしげざるを得なくなる。英語のように世界共通語(リンガ・フランカ)としての地位が確立したものであればまだしも、そのような位置づけをされていない言葉を特別に使用するのであれば、当該国からの観光客だけを歓迎したいのか?との問いを招くのは必至だ。ましてや、それらの標識を読めない第三国の観光客にとっては何のメリットもないばかりか、疎外感を覚えたとしても不思議はない。
最後に指摘しておくべきは、特定の限られた国だけに頼る「一本足打法」の危険だ。相手国が権威主義体制であれば、なおさらだ。時々の政治環境、外交関係次第で蛇口の水をひねるように観光客の流れが調整されてしまうからだ。ミサイル防衛システムを導入しようとした韓国の対応を強く批判した中国が、韓国を訪れる中国人観光客を激減させたことは記憶に新しい。
このような「経済威圧」への抵抗力を高め、また、観光地としての「格」を維持するために注目してほしいのがオーストラリアからの観光客だ。一回の訪日で平均13日以上滞日し、一人当たり34万円以上は落としていく。上客中の上客だ。日本との時差が殆どなく、季節が逆転する豪州の人々にとって「日本行き」の人気は高まる一方だ。これを利用しない手はあるまい。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)がある。