長嶋茂雄が仲介に入っていた渡辺恒雄と松井秀喜の「和解」と“監督オファー”

 元巨人の松井秀喜氏が、師匠である長嶋茂雄氏の弔問に訪れた際、「長嶋さんとの生前の約束を果たしたい」と口にした。「ここではお話できません」と言葉を慎んだものの、その一言には重みがあった。

 この発言に、誰もが「巨人・松井秀喜監督」の姿を思い浮かべたことだろう。果たして、その実現はあるのか――。

「これまでは、監督就任に向けたハードルがいくつもありました。最たるものが、松井氏がヤンキースに移籍した際、読売新聞の故・渡辺恒雄主筆が猛反対した件です」(古参の巨人担当記者)

 実はその“和解”を仲介したのも、長嶋氏だったという。

「2014年1月、松井さんは渡辺主筆と対面しています。その席には長嶋さんも同席し、“ヤンキース移籍”という経緯に対する『けじめ』をつける意味合いがありました」(同)

 この席では、「いつか巨人の監督に」という話も交わされたはずだ。

 当時は原辰徳監督率いる巨人が3連覇を果たしていたが、ソフトバンク相手にはどうしても勝てない状況にあった。ただ、チームが好調な今こそ、松井監督で流れを変えようという空気があったという。

「13年、それまで大田泰示が背負っていた“背番号55”が突然“44”に変更されました。これは松井氏の復帰を想定した布石ではないかと言われています」(同)

 しかし、松井氏はこのときも首を縦には振らず、“NO”を貫いた。

 その後、16年から高橋由伸監督が就任し、19年からは再び原監督がチームを指揮。そして昨年からは、3年契約で阿部慎之助監督が就任している。

「22年には秋広優人が背番号55を継承しましたが、今季からソフトバンクに移籍。現在、“55番”は再び空き番号になっている。松井氏の受け入れ態勢は万全というわけです」(スポーツ紙記者)

 阿部監督の契約期間中に松井監督の誕生があるとは考えにくいが、今季の巨人の成績次第では“風雲急を告げる”展開になる可能性もありそうだ。

(小田龍司)

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