前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~「お答えを差し控える」愚鈍~

 かつて官僚を務め、退官した多くの人たちと話していて気持ちが通じる点がひとつある。もう二度と国会に行かなくて済むという解放感だ。

 事あるたびに「国権の最高機関」たることを内外に焼き付けようとしてきた立法府関係者。そして、年々かまびすしくなってきた「政治主導」の掛け声。かつて、「政府委員」と称されて国会審議でそれなりの役割を果たしてきた官僚は、「政府参考人」に格下げされ、国会における「二級市民」化がさらに進んだ。その一方で、官僚の答弁機会をできる限り抑えて、議員バッジをつけた政治家同士の政策論議を深めようとした国会改革の肝心の問題意識がきちんと手当てされるようになったとは到底言えない状況だ。

 最近、そんな嘆かわしい状況を如実に示す答弁があった。

 衆議院法務委員会において島田洋一議員(日本保守党)とのやりとりで、生稲晃子外務大臣政務官(自民党)は、政務官就任後は靖國神社に参拝したことはないと認めておきながらも、政務官就任前に靖國神社に参拝したか否かをたび重ねて問われたのに対して、「お答えを差し控える」という木で鼻をくくった答弁を繰り返したのだ。

 なぜ、過去に靖国神社に参拝したかという単純な事実関係さえ回答できないのか?そもそも、「靖國神社」とは参拝することさえ憚られる場所なのか?生稲政務官の応答ぶりはそんな疑問を起こさせるものだった。

 参拝はしてはいけないことで隠し通さなければならないと捉えているかの如き腰の引けた答弁。強烈な違和感を覚えた国民は少なくないのではないか?英霊に対する冒涜とも言えよう。

 外務省では、大臣はもちろん、2名の副大臣、3名の大臣政務官には、必ずキャリアの秘書官を配置する。こんな答弁を補佐する役回りの秘書官には同情を禁じ得ない。誤解無きように付言するが、何も生稲政務官の生半可なアイドル歌手としての前歴を問題にしているわけではない。世の中には俳優出身のレーガン米国大統領や、ゼレンスキー・ウクライナ大統領のような、政治家・生稲晃子がお手本にすべき大先輩もいる。問題は、国権の最高機関たる国会で政策論議に精を出すべき外務大臣政務官が、その場しのぎのお座なりな答弁に終始したことだ。

 仮に外務省の役職に就いている人間が靖國参拝の実績を明らかにすること自体が日中関係を損なうというような受け止め方で答弁を差し控えたのであれば、浅薄な思慮に基づく軽挙との誹りを免れないだろう。平和の社たる靖國神社に赴いて、日本国の為に命を犠牲にした英霊に対して尊崇の念を表すことは国政を担う政治家として当然の行為だ。歴史カードを振りかざして難癖をつけてくる隣国があるからといって、国会での答弁さえ避けているようでは政策論議など深まるわけがない。単に隣国の手のひらで踊るだけの政治屋になり下がるのみだ。

 果たして、靖國神社に参拝しない理由を問われた石破茂総理が「英霊と言われる方々は、中国で侵略行為をしてきた」などと賢しげに述べたことに影響されているのだろうか?そうであれば、石破内閣に戦後80年の談話発出はもちろんとして、「検証」であっても行わせることは国益を大きく損ねることとなろう。

 多くの政治家、官僚その他関係者の労苦を通じて片付いてきたはずの戦後処理問題をほじくり返しては歴史カードの振りかざしを可能にし、謝罪、補償を重ねる契機となった河野談話、村山談話の愚を重ねるだけに終わるのは必至だからだ。

●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年駐豪大使に就任。23年末に退官。同志社大学特別客員教授等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)、「国家衰退を招いた日本外交の闇」(徳間書店)、「媚中 その驚愕の『真実』」(ワック)等がある。

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