9月25日、サッカー天皇杯4回戦が行われ、大番狂わせ、いわゆるジャイアントキリングが起こった。浦和レッズと対戦したホンダFCが2-0で快勝し、サッカーファンを大いに驚かせたのだ。
「天皇杯はプロアマを問わず、日本のすべてのサッカーチームが参加する大会。J1のチームはアマチュアチームと対戦する際、戦力を温存することがあり、ジャイキリが起きやすい。今年も2回戦で鹿屋体育大学が名古屋グランパスを3-0で破っています。浦和はACLこそ勝ち抜いていますが、リーグ戦は不調で降格もあやぶまれています。しかも、この日はスタメンをリーグ戦から大きく入れ替えてきたので、もしやとは思いましたが、まさか0-2で完敗するとは…」(サッカーライター)
ホンダFCはかつての強豪で、Jリーグ設立当時、同チームが取ったある行動がサッカーファンから賞賛されたことは余り知られていない。
Jリーグ開幕前の80年代後半、ホンダFCの前身である本田技研もJリーグ加盟を検討した。だが景気が後退していたこともあり、やむなく断念している。
「本田技研が加入をあきらめた一方で、2部に所属していた住友金属は10チームでスタートするJリーグの、いわゆる“オリジナル10”入りを目指していました。そして紆余曲折を経て、鹿嶋という市をホームタウンにするチームの参加が認められた。ところが、住金は明らかに戦力が足りていなかった。そこで、Jリーグ加盟をあきらめた本田技研に声をかけ、主力選手を譲ってもらったのです。監督の宮本征勝氏を始め、本田泰人や長谷川祥之、黒崎久志が鹿島に移籍。ですが、それは本田技研が強豪ではなくなることを意味しています。それでも快く送り出したのは、選手たちを華やかな舞台でプレーさせてあげたいという思いもあったそうです」(前出・サッカーライター)
その後、本田技研はJリーグ入りを目指したこともあったが、アマチュアにこだわり続け、一時は社員だけでチームを構成したこともあった。
「じつはJリーグ創設の前、静岡県浜松市を本拠地とする本田技研に対して、埼玉県浦和市(現・さいたま市)が誘致をしたことがありました。『浦和ホンダウィンズ』の名前で浦和市をホームタウンにしてJリーグに参加しないかというお誘いです。いろいろあってこのお話はご破算になりましたが、結局、浦和には三菱自動車工業がやってきて浦和レッドダイヤモンズが誕生。そんな縁を知っていると、今回の試合がより楽しめたかもしれません。さらに言うと、ホンダFCが天皇杯で次に対戦するのは鹿島アントラーズ。こちらも楽しみですね」(前出・サッカーライター)
鹿島アントラーズを倒して、再びジャイキリとなるか。試合は10月23日に行われる。