永江朗「ベストセラーを読み解く」オホーツクに潜む原潜の恐怖 極東ロシア軍の現況を分析!!

 ウクライナ戦争についての報道に接する時、わたしたちはつい、ロシアの関心はヨーロッパに(だけ)向いていると考えがちだ。だが、少し考えればわかるように、彼らは常に極東を意識してきた。なぜなら太平洋を挟んでアメリカと対峙しているからだ。

 本書はロシアの核戦略とオホーツク海についての分析である。第二次世界大戦の終わりから70年に及ぶ歴史を振り返り、いま何が起きているか、これから何が起こりうるのかを考える。

「核要塞」というと映画に登場する悪の組織の秘密基地のような、巨大な建物をイメージするかもしれない。だが、ここでいう「核要塞」とは、核兵器を搭載した原子力潜水艦を配備した海域を指す。船舶や飛行機、人工衛星から見ても、そこには穏やかな大海原が広がっているだけ。ところが水面下では、原子力潜水艦がミサイルの照準をアメリカに向けている。そして、その周囲は堅く守られている。つまり、見えない要塞なのだ。

 原子力潜水艦がポイントだ。原子力ではない潜水艦はエンジンを動かすために空気を取り入れる必要があり、定期的に浮上しなければならない。ところが、原子力潜水艦は、いつまでも潜っていられるので敵に見つかりにくい。海の中の核要塞はきわめて強力だ。

 第二次世界大戦終結後、米ソは激しい核兵器の開発競争を行ってきた。本書によると、核弾頭搭載型の潜水艦発射弾道ミサイルがオホーツク海に配備されたのが1974年。ソ連軍は、この海域を日米の対潜部隊から守るための重層的な防衛網を構築する。やがて、ソ連の崩壊でロシア海軍がボロボロになっても、オホーツク核要塞は放棄されなかった。

 いまプーチンのロシアは、超大国だった過去の栄光を忘れられないエゴと、没落した現実とのギャップを、核戦力への依存によって埋めようとしている。ウクライナ侵略はその矛盾のあらわれであり、プーチンが、しきりと核兵器の使用をほのめかしているのも故なきことではない。

 だがその戦略は有効だろうか。ウクライナ侵攻は、フィンランドとスウェーデンのNATO(北大西洋条約機構)加盟をもたらした。ウクライナ戦争がどのような帰結を迎えようと、邪悪な侵略国ロシアという汚名は消えない。

 本書の「おわりに」に、著者が横浜の自宅から海上自衛隊下総基地(千葉県)までドライブし、再び、横浜に戻って横浜港の米軍施設「横浜ノース・ドック」の近くまで行くエピソードがある。ドライブを終えた著者は「東京湾はロシア人にどんなふうに見えるのだろう」と考える。

 ロシアからは、日本の米軍基地や自衛隊基地が、喉元に突きつけられた匕首(短剣)のように見えるだろう。だから防御を固めなければ、と彼らは考えるかもしれない。オホーツク核要塞はアメリカとの軍拡競争の中で生まれた。戦争の危険を減らし、真の平和を望むのならば、軍拡ではなく防衛力(軍事力)の削減こそが有効策なのではないか。

【「オホーツク核要塞 歴史と衛星画像で読み解くロシアの極東軍事戦略」小泉 悠・著/1155円(朝日新書)】

永江朗(ながえ・あきら):書評家・コラムニスト 58年、北海道生まれ。洋書輸入販売会社に勤務したのち、「宝島」などの編集者・ライターを経て93年よりライターに専念。「ダ・ヴィンチ」をはじめ、多くのメディアで連載中。

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