サッカー日本代表を率いて、2002年日韓ワールドカップでベスト16の成績を残したフィリップ・トルシエ氏(1998-2002に指揮、以下同)が、U-19ベトナム代表の監督に就任すると海外のスポーツメディアが9月7日に報じた。トルシエ氏は昨年、ベトナムのエリート養成機関の技術統括責任者に就任しており、その関係もあってU-19代表の監督に就いたようだ。
「日本でそれなりの成績を残した監督としては、物足りない現状と言えるでしょう。ベトナムサッカーは近年、急成長を遂げているものの、フル代表ではなくU-19の監督ですからね。02年に韓国代表を率いたフース・ヒディンク氏がその後、オーストラリアやロシアのA代表、クラブチームのチェルシーを率いたのに比べると雲泥の差です」(スポーツ紙記者)
そこで、まことしやかに囁かれているのが、日本代表監督を務めた外国人監督に見る悲しいジンクスだ。確かに歴代の外国人の日本代表監督が、その後、残念なキャリアをたどるケースが少なくない。
ヴァヒド・ハリルホジッチ氏(2015‐2018)は日本代表監督を解任された後、アルジェリア代表監督就任で合意したものの、契約には至らなかった。18年からフランスのFCナントを指揮し、降格危機にあったチームを立ておなし、見事残留を果たしたが、クラブの会長と揉め、今年のリーグ戦開幕直前に契約を解除されている。現在はモロッコ代表の監督だ。
ハビエル・アギーレ氏(2014-2015)は日本代表監督就任からほどなくして、スペインでの八百長疑惑が浮上し、退任。その後はUAEのクラブチームを率い、18年からはエジプトの代表監督に就任。ところが今年のアフリカ・ネーションズカップ2019で決勝トーナメント1回戦で敗退すると、4年契約にもかかわらず解任されている。
14年ブラジルW杯で指揮したアルベルト・ザッケローニ氏(2010-2014)は日本代表監督を退任後、中国スーパーリーグの北京国安の監督に就任するも、チームが低迷しリーグ開幕から9試合目で解任されている。
イビチャ・オシム氏(2006-2007)は監督在任中の2007年に脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたものの監督としては復帰できずにいる。
ジーコ氏(2002-2006)は日本代表監督を退任後、いくつかのクラブチームの監督を渡り歩いたが、その多くを成績不振で解任されている。
「特にジーコ氏は悲惨です。09年から率いたギリシャのオリンピアコスでは、あまりの成績不振にサポーターの暴動が起き、わずか4カ月でチームを追われています。またイラク代表監督の時は、給与の未払いを食らいました。13年から率いたカタールのクラブチームも成績がふるわず、たった5カ月で解任されています。指導者としてはいまひとつ評価されていません」(スポーツライター)
1994年に就任したファルカン氏(-1994)は日本代表監督を解任後、監督のオファーはなく、2011年になるまで解説者として過ごすことになった。
初の外国人監督であるハンス・オフト氏は、日本代表監督を譲ったあと、Jリーグのチームを指揮し結果を残した。特に03年には浦和を率いて、ナビスコカップを制覇。浦和に初のタイトルをもたらした。順調なキャリアに見えるが、ナビスコカップ優勝の記者会見で突如退任を発表。周囲を驚かせた。その会見のせいかJリーグからのオファーはなく、半ば引退状態になっている。08年に降格危機にあったジュビロ磐田の監督を務めただけだ。
「トルシエ氏は日本代表監督を辞めた後、母国フランスの代表監督の候補になったものの、結局選ばれることはありませんでした。以降はアジアのナショナルチーム、クラブチームを中心に指揮をしています。そしてベトナムU-19代表監督ですから、キャリアは下り坂といっていいでしょう。今後、欧州の第1線で指揮を執ることは難しいかもしれません。サポーターの間で再びジンクスが囁かれだしたのもわかります」(前出・スポーツライター)
ハリルホジッチ氏の後、日本代表監督は2代続けて日本人が務めている。どうやら当分はジンクスに泣く人は生まれずに済みそうだ。