岸田自民には任せられない「日本保守党」大研究(5)「総理を狙うなら全力で担ぎます」

「有本さんから電話が来たんですよ。『政党を立ち上げるから相談に乗っていただけませんか?』と。名古屋に来てもらって百田さんと3人で、居酒屋でハイボールを飲みながら話を聞きました。2人とも日本を代表する論客ですけど、政治の実務経験がないわけで。そこの部分では手助けできるだろうけど、『一緒にやっていただけませんか』と言われ、2度目に会った時には『共同代表を』と言うから驚きましたよ」

 河村市長は百田・有本両氏との邂逅をこう語る。有本事務総長から「河村さん、総理を狙うのはあきらめたんですか? もう一度やるなら、全力で担ぎますよ!」という口説き文句まで飛び出したものの、結局、その場で結論は出なかった。持ち帰り、熟慮の末に承諾を伝えたという。

 ここで河村市長の政治家人生を振り返ろう。83年の愛知県議会議員選挙、90年の衆院選挙に立候補するも、落選の憂き目にあう。日本新党から出馬した93年の衆院選で初当選。以後、新進党、民主党と所属を移し、5回の当選を果たす。

 常々「総理を狙う男」と公言してきたが、09年に「不退転の決意で」「名古屋の皆さんに恩返ししたい」と、市長選に出馬し当選。翌10年に減税日本を立ち上げると、名古屋市議会へのリコール不成立を経て出直し選挙を含め、市長選でも5回の当選を果たしている。つまり、約40年間選挙活動と向き合ってきたプロフェッショナルだ。有本事務総長も、「月刊Hanada」(23年12月号・飛鳥新社)に寄稿した中で、

〈衆議院議員を五期、名古屋市長を四期務めた大ベテラン政治家、しかも世襲でない叩き上げ、選挙に強い河村氏とその側近の広沢氏なら、私たちの弱点を補完してくださる存在としてお釣りがくる〉

 と期待を寄せている。

 日本保守党サイドの動機は理解できる。では河村氏が連携を決意した理由は何だったのか。

「減税日本は、大きく分けて3つの政策を掲げとります。まず1つ目は政治家の家業化をストップする。自民党がここまでダメになったのも、その根元は家業化、世襲議員の横行ですわ。自分の政治理念ありきで行動せにゃいかんのに、政治家を長く続けることが目標になっとるで。2つ目は当然、税金を1円でも減らすこと。皆さん勘違いしとるけど、地方税を減税すると経済は活性化するし、行政サービスも推進されるんです。現に名古屋は、わしが市長になって14年で、1400億円減税して、税収は逆に2400億円増えましたから。そして3つ目は、受験勉強をなくす。少なくとも公立高校はそうせにゃいかん。今、小中高生が自死を選ぶ理由は、イジメよりも受験のプレッシャーや学業不振の方が多いんですよ。それに今の学力だけを磨く教育では、それこそスティーブ・ジョブズとかイーロン・マスクのようなイノベーターは出てきゃあせんし、若者に忍耐を強いる国が大きくなるわけがにゃあで。まあ、そんなようなことで名古屋でいろいろやっとったわけです。それに百田さんも有本さんも共感してくれて、『やりましょう!』と言うから、じゃあ一緒にやっていこう、と」

 日本保守党は結党とともに37の重点政策項目を発表したが、そこにも河村市長が名古屋市で実績を上げた減税政策について、

〈名古屋モデルを参考に地方税減税を全国で推進する〉

 と記されている。政党としてのスタンス、信念がかみ合った結果のサプライズだったわけだ。

(つづく)

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