「死せる孔明、生ける仲達を走らす」
中国・三国時代の有名な故事である。蜀の諸葛孔明が陣中で病死し、それを察知した魏の将軍・司馬仲達が蜀軍に攻め入ったところ、蜀が反撃の構えを見せたため、仲達は孔明が死んだと見せかけた罠だと思い込み、あわてて退却した。つまり、生前の威光が死後にも残っており、人々を震え上がらせるという例えである。
李克強前首相の死から半月を経て、習近平主席が彼の死に怯えている様子は、まるで「死せる孔明、生ける仲達を走らす」のようだ。
李克強前首相急死の一報が中国中央電視台(CCTV)で伝えられたのは、死亡した翌日。中国時間の10月27日午前8時の定時ニュースだった。
李氏はこの3月末まで10年間にわたって、国務院総理を務めた国家最高級の地位にあった人物である。本来なら、ニュースの時間を大きく割き李氏の功績を振り返るところだが、アナウンサーは「李氏は首相退任後も習近平同志を核心とする党中央の指導を支持した」という文言を繰り返した。
共産党機関紙「人民日報」でも、李氏の精神を受け継ぐために「習近平同志を核心とする党中央を中心に団結せよ」と、追悼の記事がことごとく習氏に忖度する内容となっていた。
これに庶民は反発し、李氏の故郷や李氏にゆかりのある中国各地で、多くの人が献花するなど追悼の動きが広がった。だが、その動きが大きくなると、李氏を悼むネット上の画像は瞬く間に削除された。
SNSにはマレーシア出身の人気歌手のヒット曲「あなたでなくて残念」の歌詞がアップされたが、これもすぐに削除された。亡くなったのが李氏ではなく「あなたならよかった」と、庶民が習氏を腹の底から嫌っていることに政府が恐れを感じたからに他ならない。
それにしても、絶対権力者に上りつめた習近平主席が、無役になった李氏の「死」で何を恐れたのだろうか。
2013年に首相就任した当初、李氏は貿易や投資で民間経済の活力を引き出す経済政策、いわゆる「リコノミクス」を推し進め国際的にも評価された。だが、習氏に権限を奪われ2人の関係は冷え込んだ。2016年の全国人民代表大会では、習氏が李氏の報告に拍手せず、会話せず、握手せずの完全無視を貫いたほどだ。
2021年の共産党創立100周年式典で習氏は、絶対的貧困を撲滅し「小康社会(少しゆとりある社会)を実現した」と宣言したが、その前年、李氏は「中国には月収1000元(約2万円)に満たない人が6億人いる」と発言して習氏のメンツを潰している。
各国メデイアは李氏の死が、胡耀邦元総書記の追悼集会が引き金となって起きた天安門事件の二の舞になることを恐れているなどと伝えているが、“一人独裁”を実現した習氏の「恐れ」は、もはや次元の違うところにあるのではないだろうか。
それは、明王朝の最後の皇帝となった「崇禎帝」の立場である。崇禎帝は女におぼれ政治をないがしろにした先代と違い、国家発展のために政治に真正面から取り組み、緩んだ体制を立て直す努力を続けた。ところが臣下を信用せず、重臣を次々に暗殺。結局重臣の心が離れ、自死に追い込まれる。
「トラもハエも叩く」と、政敵を反腐敗闘争の名の下に約465万人も有罪に追いやり、自ら任命した秦剛外相や李尚福国防相を更迭。さらにナンバー2の李強首相をも外したと伝えられる習氏の現状は、まさに「崇禎帝」そのものなのである。
(団勇人・ジャーナリスト)