歴史でひもとく「日本人と温泉」(1)森繫久彌も藤原道長も「有馬」で遊んだ

 世界一の温泉大国とも言われる日本。「温泉」という言葉がない古代から人々は温泉に浸かっていた。

 歴史家の河合敦氏によれば、日本で〝温泉〟という語が文献上に登場するのは、奈良時代の「出雲国風土記」だという。

「当時は『出湯』『薬湯』と呼ぶのが一般的でした。『温泉』として最初に登場するのは『伊豫湯』つまり伊予(愛媛県)の道後温泉が『古事記』に記されたのが最初です。『古事記』には、他に有馬温泉(兵庫県)、白浜温泉(和歌山県)などが登場し、この3つが『日本3古湯』と言われています。630年代に活躍した舒明天皇は、13年間の在位の間に3度、3〜4カ月くらいの逗留を有馬温泉、道後温泉で行っています」

 聖徳太子もここに滞在したことが「日本書紀」に残っている。

「有馬温泉は、都の京都から淀川を下って舟で行き来ができる交通の便利さで、平安時代以降には、藤原道長をはじめ和泉式部、藤原定家、足利義満、足利義輝など、貴族や室町将軍など有名人が大勢訪れています。道長が行った時には、貴族たちが我も我もとついて行き、右大臣の藤原実資などは日記(「小右記」)に、そういう道長へのお追従は見苦しいと批判しています」(河合氏)

 60年代の森繁久彌主演「社長漫遊記」(1963年・東宝系)などで描かれた温泉地でどんちゃん騒ぎという昭和の団体旅行の原点が、すでに藤原道長の時代にあったとは驚きである。

河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊:「日本史の裏側」(扶桑社新書)。

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