長嶋茂雄×野村克也「実録ライバル史」(6)「野生の勘」が「野村ID」を打ち砕く

 翌6月9日、皇太子さまと雅子さまの「結婚の儀」とパレードに日本中が祝福し、沸き返っていた。

 この日、乱闘の余韻が残る巨人とヤクルトは金沢に移動した。今度は平成の野球史に残る逆転の名勝負となった。

 主役はヤクルトの三菱自動車京都出身のドラフト1位ルーキー・伊藤智仁投手だった。4月20日の阪神戦でプロ初勝利を挙げると、快進撃が続いた。この日が巨人戦初登板だったが、素晴らしい投球を見せた。

 1回の原辰徳を皮切りに6連続三振を奪った。8回まで150キロ前後の真っすぐと代名詞でもある「高速スライダー」で0を重ねていた。巨人打線は7安打を放っていたが、要所を封じられていた。ヤクルト打線も同じく0行進をしていた。

 9回表を終わってスコアは0対0。その裏、伊藤は吉原孝介をスライダーで三振に切って落とした。これで16個目の奪三振となり、金田正一、江夏豊、外木場義郎と並ぶセ・リーグタイ記録となった。

 9回2死無走者。ここで打席に入ったのが、途中出場の篠塚和典だった。長嶋は9回表2死二塁で広沢克己を迎えると、わずか4安打しか許していない門奈哲寛に代えて石毛博史を投入した。ピンチをしのいだ。

 9回裏の攻撃を考えて3人目に回ってくる門奈のところに二塁で篠塚を起用した。「野生の勘」が働いた。「野村ID」に挑み、9回裏に全てをかけた勝負手だった。

 プロ18年目の篠塚は、伊藤が投球モーションに入ろうとすると2度タイムをかけた。ベテランの駆け引きだ。焦らした。伊藤の投球リズムがわずかに狂った。

 初球、高めに抜けた真っすぐが来た。振り抜いた。打球は金沢の夜空を切り裂いて、右翼席へのサヨナラ弾となった。プロ入り初の一発は、伊藤の夢を打ち砕いた。長嶋が思わず篠塚に抱きついた。前夜の見事なお返しだ。

 伊藤はベンチに戻ると、大きなため息をついてダラリと肩を落とした。5秒、10秒、15秒‥‥沈黙のあとに「真っすぐです」と一言、目に涙をためていた。

 野村は「見殺しにしてしまったな‥‥」と言葉少なに語った。

 巨ヤ「北陸の死闘」は1勝1敗で、両者のゲーム差は変わらなかった。93年は巨人がヤクルトに対して14勝12敗と勝ち越したが、ヤクルトがセの連覇を果たし、日本シリーズでも西武を破って15年ぶりの日本一に輝いている。巨人は3位に終わった。

 両者はこの年を含めて、9年間にわたり戦いを重ねる。

 なお、伊藤は同年7月4日の巨人戦で1対0の完封勝利を挙げている。篠塚も無安打に抑えた。こちらも見事なリベンジだった。

(敬称略)

猪狩雷太(いかり・らいた/スポーツライター)スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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