長嶋茂雄×野村克也「実録ライバル史」(4)野村IDで松井秀喜を徹底解剖

 長嶋は92年オフ、12年ぶりに巨人の監督に就任した。野村はライバル心・対抗心・敵愾心を隠すことなく、ID野球で対抗姿勢を打ち出した。〝口撃〟を繰り返した。

 野村は「王、長嶋がヒマワリなら、私は月見草」の名言を残したが、これは5歳年下の王よりも長嶋を意識したものではなかったか。

 野村は35年6月29日生で、長嶋は36年2月20生。2人は同級生だ。長嶋が大学出(立教大)で、野村は高校出(峰山高)のテスト生上がりである。

 長嶋は58年、新人でいきなり本塁打と打点のタイトルを獲得し、新人王に輝いた。マスコミは大々的に長嶋を持ち上げた。

 野村は面白くなかった。57年には初タイトルとなる本塁打王を獲得している。この年も21本塁打、79打点と活躍していた。単に妬むだけではなく、理論武装によって勝とうとした。最大の武器がID野球だった。

 野村は92年、ヤクルトを14年ぶりに優勝に導いた。連覇への最大の敵は巨人であり、ライバルだ。ライバルへのコンプレックスを取り除くため、また選手を鼓舞するために長嶋へ口撃を仕掛けた。

「長嶋カンピュータ野球に理詰めのID野球が負けるはずがない」「今日は相手の采配で勝たせてもらった」などなど。マスコミはこれらの言葉に飛びついた。相手を揺さぶるのが狙いであり「遺恨」「因縁」の図式が出来上がっていった。

 野村は勝負の鉄則の1つに「中心を攻撃しなければ意味がない」を挙げる。長嶋はその意図がわかっていた。無視を決め込んだ。

 2日の第3戦は1回の古田の3ランが重い展開で巨人が敗れたが、松井の「歴史的な一発」が飛び出した。3点を追った9回2死一塁だった。高津臣吾の内角低めの真っすぐを捉えた。打球は弾丸ライナーで右翼席上段へと突き刺さった。プロ2試合目、7打席目でのメモリアル弾だった。

(5月2日 18時 東京ドーム)
ヤ300000001=4
巨000100002=3

 長嶋は松井のプロ1号に「同じ負けでも明日につながる負けですね。最高の当たりでした」と称賛した。

 一方、野村は「すごい当たりだな。まさにゴジラ打法だ」と言いながら、報道陣を上目で見ながら続けた。

「アレがあったからあそこに投げさせたんや。試しにいかせてみたんや」

 アレとは9回に挙げた1点の追加点のことだ。そこで最終回が始まる前に古田に「試しに内角の真っすぐを投げてみい」と指示を出していたのだ。

 松井は第1打席フォークで三振、第2打席はカーブで中飛に打ち取られていた。内角に強い。野村IDは早くも松井の徹底解剖に乗り出していたのだ。

 野村vs長嶋の初対決は2勝1敗で長嶋に軍配が上がった。「上目遣いににらむノムさん、横目で素知らぬ顔のミスター」といったところだった。

 第3戦の視聴率は32.2%、松井がプロ初アーチを放った午後8時5分の瞬間最高視聴率は39.7%だった。両雄の対決に対するファンの関心の高さがわかる。

 決して野村の挑発に乗ろうとしなかった長嶋だが我慢の限界がやってくる。6月8、9日に「北陸戦争」が勃発する。

(敬称略)

猪狩雷太(いかり・らいた/スポーツライター)スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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