菅前首相に主役を奪われた岸田総理の泣き面に蜂/永田町の「黒い顔役」たち(1)

「賛成・反対」で国論を真っ二つにする「安倍国葬」を敢行した岸田内閣。間を置かず今度は国会の〝お白州〟で、「旧統一教会」「国葬」問題を糾弾する野党が手ぐすね引いて待っていた。防戦一方で吊るし上げの岸田内閣を横目に、政界の黒い首領たちは笑みを浮かべて‥‥。

「信じられない一報を耳にし、とにかく一命を取りとめてほしい。あなたにお目にかかりたい。同じ空間で同じ空気を共にしたい」

 9月27日の「国葬」での友人代表・菅義偉前総理(73)の追悼スピーチが絶賛されている。

 政治部デスクが解説する。

「総理時代からスピーチライターを付けないことで有名な菅さんですが、7月の葬儀後に昭恵夫人(60)から直接依頼を受けた後に、自分のメモなどから書き起こしたようです。第2次内閣前の総裁選前に安倍晋三元総理と2人で銀座の焼き鳥屋に行き、3時間かけて出馬を説得したという秘話のほか、くしくも同じく凶弾に倒れた初代総理・伊藤博文を忍んで詠まれた山県有朋の句で絶妙に締めくくった。かつて〝伝わらない総理〟と揶揄された人物とは、到底思えない感動的なスピーチになりました」

「総理、総理」と、まるで恋人の名前を呼ぶように祭壇の遺影に呼びかけるスピーチに、列席した昭恵夫人はハンカチで涙を拭い、4200人の参列者からは、葬儀では異例の拍手が日本武道館に響いた。

「一方、現職の岸田文雄総理(65)の名前を、菅前総理が口にすることは一度もありませんでした。安倍政権を陰ながら支えた自分こそが安倍政治の正当な継承者だと、名乗りを上げたようなもの。あまり知られていないが、安倍総理と岸田総理は当選同期、政治信条こそ違えども、駆け出し時代には料亭などで遊んだ飲み仲間(友達)で、その後、安倍政権では外務大臣に重用されている気心の知れた同僚だった。しかし、具体的なエピソードが満載の菅前総理に全てさらわれてしまった」(デスク)

 いずれにせよ、開催前の圧倒的な反対世論を消沈させるほどの追悼スピーチとなったのだ。官邸記者が打ち明ける。

「そもそも、岸田さんは自ら決断したと語っているが、国葬を強行させたのは、麻生太郎副総裁(82)です。自民党と内閣の合同葬の方向で進めていた岸田さんに何度も電話し、『理屈じゃねぇんだ』と強引に〝国葬〟に軌道修正させたといいます。1967年に行われた祖父・吉田茂の国葬を見ていた麻生さんとしては、それを超える在任期間を務めた安倍さんもまた、国で弔うのが当然だと考えていた。岸田さんは周りに言われて初めて動くタイプなので、麻生コールのほか、官房スタッフからも『実行すれば支持率が上がる』と勧められ、最終的に決断したようです」

 ところが、凶弾から6日後の即決は完全に裏目に。その後、閣僚をはじめ、政治家と旧統一教会とのズブズブの関係、べらぼうな「国葬」警備費、おまけに全党調査後も続々と旧統一教会と自民議員の関係が明るみに出るザル点検と、もはや岸田内閣の地盤沈下は泥沼にハマりつつある。

*週刊アサヒ芸能10月13日号掲載 (2)に続く

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