言いたいことも言えない世の中に炎上覚悟で物申す新連載がスタート。第1回は、1970年代に「水戸黄門」の二代目格さん役などで活躍。渋い演技で定評のある大和田伸也氏(74)が登場。近年のドラマにまつわる問題を〝嘆き節〟で語り尽くす。
芸能界にコンプライアンスが浸透するのがいいのか悪いのかは、いまだにわからない。でも、芸能人はプライベートでも清廉潔白な生き方を求められるようになって、一度の失敗も許されない世の中になった。だからかなぁ。昭和の時代に大スターと呼ばれていた、豪放磊落な生き方を貫き通す役者を見かけなくなったのが、ちょっと寂しい。
僕の若手時代、豪放磊落という言葉が似合う先輩といえば、勝新(太郎)さん(享年65歳)と、松方(弘樹)さん(享年74歳)かな。勝新さんが、記者会見での「もうパンツは、はかない」発言の後も芸能活動を続けられたのは、大スターだったからこそ。今だったら、ネットで叩かれまくっていただろう。ここ数年で薬物使用で逮捕された芸能人が、復帰できないのと同じような扱いをされていたかも。
おふたりは遊び方も豪快だったんだよね。地方ロケは宿泊とセットで、気分が開放的になる役者が多いんだけど、僕が京都ロケに行った時のこと。撮影が終わった夜に祇園へ出向くと、勝新さんも松方さんも、大勢のスタッフを引き連れて練り歩いているわけ。で、「伸也も一緒に行こうぜ」と誘ってくれて。連れて行かれるのは決まって、芸妓さんとのお茶屋遊び。おふたりは芸妓にモテモテだったなぁ。
諸先輩方が泊まりの地方ロケに行くと、現地の女性と遊んでいるという噂はよく耳にしていたんだよね。今なら週刊誌の格好のネタだけど、昭和のマスコミは大スターの艶聞に対して、見て見ぬ振りをする風潮があった。なぜなら、記者たちも一緒になって遊んでいたから(笑)。自分も遊んでおいて報道するのは、ルール違反でしょう。だから昭和の芸能界は役者にとって、わりとのびのびとした生きやすい世界だったんだよね。言っておくけど、僕は悪さはしてませんよ(笑)。当時から生真面目な性格で、大スターの諸先輩方を前にハメを外すなんて、無作法極まりないと思ってたから。
しかも先輩たちと飲むと、5、6軒ははしご酒をするのが当たり前。終盤になるとベロベロに酔っ払いながらも、「旅館に帰って明日の芝居の準備をしなければ」と、どこか冷静な自分もいたし、飲み終わったら遊ぶ体力も気力もなかったから悪さをしなかった‥‥できなかった、と白状するのは、ここだけの話(笑)。
高級店に行っても、先輩がいると、僕ら後輩は一度も支払いをしたことがなかった。勝新さんや松方さんの側には、相撲で言うタニマチのようなスポンサーさんが必ずついていたから。先輩が僕を誘うと、スポンサーさんが「伸也さんもどうぞ」と言ってくれて、安心して甘えることができたんだよね。だからいまだに、京都で一晩遊んだ合計金額を知らない。目が飛び出るほどの高額だったという予想はできるけどね。僕より少し上の世代は、ギャラが現金取っ払いだったから、先輩が一部を支払っていたのか。僕の頃はもう身銭を切って遊ぶ世代ではなかったんだよね。先輩からおこぼれをあずかっていたから、真相は今も謎のまま。
*ガタガタ言わせろ!(2)につづく