安倍晋三元総理の横には、常に昭恵夫人の姿があった。まさに一心同体。筆者が彼女の口から聞かされたのも「夫への愛」だった。緊急連載の第2回では出会いから結婚に至るまで、ふたりがゆっくりと着実に歩んだ軌跡をお届けしよう。〈作家・大下英治〉
昭和六十年九月初め、広告代理店の電通に勤める松崎昭恵は、自分の所属する新聞雑誌局の上司の梅原から言われた。
「うちによく来る山口新聞の浜岡さん、彼が、安倍晋三君と知り合いでね。ほら、外務大臣の安倍晋太郎先生の息子さんだよ。彼は今、お父さんの秘書をしておられてね」
「はあ‥‥」
昭恵が筆者に語ったところによると、当時の昭恵は、政治にほとんど興味がなかったという。「福田派のプリンス」と言われていた安倍晋太郎のことも、一般常識としてその名前を知っているだけであった。
梅原が続けた。
「浜岡さんが、わたしに、『安倍君にはガールフレンドがいないみたいだから、だれか紹介してくれ』と言ってきてね。どう、松崎さん、一度、安倍君に会ってみないかい?」
松崎昭恵は、森永製菓の松崎昭雄社長の長女である。名家のお嬢さんらしい品の良さと天真爛漫さを兼ね備えていた。梅原は、政界屈指の名門の子息である安倍晋三にふさわしい女性として、昭恵に白羽の矢を立てたのだった。
だが、昭恵はこの時、二十二歳。まだ結婚など、考えたこともなかった。
「いえ、お見合いの話でしたら、ご遠慮いたします」
「そうかい」
梅原は、それ以上、昭恵に安倍に会うよう執拗には誘わなかった。が、安倍の写真を持ってきて、昭恵に見せた。
「安倍さんは、こういう方ですよ」
昭恵は、その写真を見て思った。
〈ハンサムだけど、なにぶんにも、年が離れ過ぎているわ〉
二十二歳の昭恵にとって、三十歳の安倍晋三は、恋愛対象として見るには大人すぎた。
梅原は言った。
「安倍君は、本当にいい青年だよ。だから、お見合いとか堅苦しいものじゃなくて、一度会って、食事くらいしてみても、いいと思うよ」
それからも何度か、梅原は昭恵を安倍晋三との食事に誘った。
昭恵には、結婚を意識して付き合っている男性はいなかった。上司に何度も誘われたうえ、「食事だけでもいいから」と言われると、頑なに断り続ける理由もなかった。あまり気が進まなかったものの、承諾することにした。
「それじゃあ、お食事だけ、ということでしたら」
こうして、晋三と昭恵、紹介者である山口新聞の浜岡、昭恵の上司の梅原の四人で、晋三の友人が経営しているという原宿のレストランで会うことになった。
晋三は、政治の難しい話ではなく、海外の要人たちのこぼれ話など、父・晋太郎の秘書として海外へ行った時のエピソードを、おもしろおかしく昭恵に話して聞かせてくれた。
〈とても、感じのいい人だわ〉
昭恵の眼に、安倍晋三は非常にまじめで誠実そうに映った。が、やはり自分には遠い、大人の男性であった。昭恵の周囲の三十代男性は、いわゆる業界人であった。彼らと比較すると、垢抜けていないように見えた。
〈文中敬称略/連載(2)に続く〉