「マチュ・ピチュ」は嘘、本当の名前は「ワイナ・ピチュ」だった?その深い意味とは

 東京・上野公園の西郷隆盛の銅像が実は本人ではなかったとか、645年と教えられていた「大化の改新」が実は646年だったとか、かつて歴史の授業で習った常識が実は誤りで、教科書が後に書き換えられるということはままある。

 現在、NHK大河ドラマで放映中の『鎌倉殿の13人』についても、長いこと源頼朝の肖像画が頼朝のものではなくいまは歴史の教科書には載っていないとか、「いいくにつくろう」(1192)と年号を覚えた鎌倉幕府の成立も、今では「いいはこつくろう」(1185)に変わっているのは良く知られた話だ。

 話は急に外国の古代文明に飛ぶが、実はペルーにある15世紀のインカ帝国の遺跡、あの有名な「マチュ・ピチュ」の本当の名前は、実は「ワイナ・ピチュ」だったというお話。

「アンデス研究の学術誌でアメリカの専門家が提唱しています。地元の人は100年以上も前から、この集落を『ワイナ・ピチュ』あるいは単に『ピチュ』と呼んでいたとのこと。『ピチュ』は山頂の意味なので変わりませんが、『古い』という意味の『マチュ』ではなく、『新しい』という意味の『ワイナ』というのが正しい名称だったことを突き止めたというのです」(週刊誌記者)

 そもそもマチュ・ピチュが発見されたのは1911年のこと。インカ帝国は1533年にスペイン人の征服にあって滅亡したが、インカの人々はこのピチュ(山頂)の都市を放棄してアンデスの山中に逃れた。それを1911年にアメリカの探検家のハイラム・ビンガムが“再発見”するのだが、ビンガムは地元のガイドの話などからこれを「マチュ・ピチュ」とした。

 実は「マチュ・ピチュ」が「マチュ・ピチュ」となった根拠はこれしかなかった。ところが先の専門家らが古い記録を調べていたところ、1588年には地元先住民が「ワイナ・ピチュ」と呼んでいたことが判明したのだという。

 意外に知られていないのは、ワイナ・ピチュよばれているものは別に現存しているということ。マチュ・ピチュのすぐ北に突き出た山頂のことだ。ワイナ・ピチュはマチュ・ピチュのような都市の遺構はなく、代わりに、山道の途中に「月の神殿」と呼ばれる、玉座のある洞窟がある。

 そもそもが謎に包まれた遺跡だけに、この辺りの「マチュ」と「ワイナ」の関係は今後の研究が待たれるところだ。

(猫間滋)

ライフ