斎藤佑樹「ハンカチ裏面史」(2)”査定システムが故障”の揶揄も

 初の完封勝利やバースデー勝利を上げた12年シーズン半ばまでがピークで、勝ち星は遠のき、過酷な運命が待ち受けることに。

「2軍調整を余儀なくされた後半戦あたりから、勤続疲労と、大学時代の古傷だった左太腿をかばう投げ方が相まって右肩の不具合が生じ、シーズン終了後に右肩関節唇の損傷が判明した。手術しても完治不可能とも言われる箇所だけに『うわぁ、終わった‥‥』と、若くして引退も覚悟したらしい」(球界OB)

 翌年からシーズンの大部分をファームで過ごす〝冬の時代〟に突入。おのずとチヤホヤされる場面も減ってしまった。

「元艶系女優の澁谷果歩にご執心な時期があった。というのも、彼女は前職のスポーツ紙記者時代に鎌ケ谷にも取材に行っていました。その姿を見て『あの胸の大きい子、どこの社ですか?』とロックオン。のちに彼女から直撃取材も受けた斎藤ですが、大人の関係に発展することはなかったようです。並行して合コン三昧の時期もあり、『テレ朝の宇賀ちゃんともした』などと話す姿に、同僚投手からも『練習しないで、バカじゃないか』と相手にされないようになっていった」(球界関係者)

 それでも、球団のVIP扱いが変わることはなかった。結果、チームメイトからはますます不評を買っていく。

「どんなに成績が悪くても年俸が1000万円を下回ることはありませんでした。選手の中には、球団が導入している厳しいBOS(ベースボール・オペレーション・システム)による査定が『斎藤に対してだけは入力ミスか、あるいは故障している』と揶揄する声もあったほど」(スポーツ紙デスク)

 球団に意見しようものなら、自身の立場を悪くする。であれば、触らぬ神に祟りなしとチームメイトは距離を置き、孤立を深めていった。

「唯一の話し相手は、早実の後輩・清宮幸太郎(22)と誰にでも分け隔てない杉谷拳士(30)ぐらいだった」(スポーツ紙デスク)

 四面楚歌の中、今や大リーグのMVP候補・大谷翔平(27)ともこんな因縁が─。

「15年、開幕投手だった大谷の8連勝という球団記録がかかる試合だった。『7番・投手』の二刀流で出場し、7回1失点11奪三振の力投ながら、打つ方は3打数3三振でシーズン初の負け投手に。たまたまその日は斎藤の誕生日6月6日で、ぶつけようのないチームの怒りが向けられてしまった。『佑の呪い』なんて冗談を言う関係者もいた」(球界関係者)

 ちなみに、大学時代にキャプテンも務めた斎藤は礼儀に厳しく、入団当初の大谷について「挨拶がなっていない」と評していたという。

「中田翔(32)をひっくるめて、『高卒は礼儀ができていないからダメだ』と斬って捨てていた。一方で中田は陰で『プロでやるのに、なんで大学なんか行くんや。遠回りや』と毛嫌いしていましたね」(球団関係者)

*「週刊アサヒ芸能」10月21日号より。(3)につづく

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