高校、大学時代からプロ入団直後にかけて大フィーバーを巻き起こした「ハンカチ王子」がついにユニフォームを脱ぐ。しかし、ここぞとばかりに並び立てられるのは美辞麗句ばかり。11年間で通算15勝に終わった裏面史を綴ろうではないか。
「右肩はボロボロで悲鳴を上げていた。直球の球速は130キロ出るか出ないか。多少変化球でタイミングをズラせても、5〜6球目にはファームの打者にすら真芯で捉えられる始末なんだから。あれじゃ、独立リーグでも通用しないよ」
さる球界OBが沈鬱な表情で明かすのは、10月1日に現役引退を発表した、日本ハム・斎藤佑樹(33)の現状である。スポーツ紙デスクが引き取る。
「ここ数年は、2年目に損傷した右肩関節唇の症状が芳しくありませんでした。9月20日のイースタンのDeNA戦後にそれが悪化。激痛に痺れを伴う症状は、日常生活にも支障を来したといいます。そのまま予定していた28日のイースタン・巨人戦の登板を回避。22日に吉村浩GMとの話し合いの場を設けて、引退の決意を報告したそうです」
遠征先の大阪で斎藤の引退を聞かされた栗山英樹監督(60)は、相当ショックを受けていたという。
「23日のオリックス戦時は目に見えて落ち込んでいた。前日は負け試合でも饒舌に取材に答えていたのに、この日は何を聞かれても歯切れが悪く、わずか1分ほどでロッカールームに引き上げてしまいました。球団からは来季の監督続投要請が出ていましたが『佑樹が辞めて、俺が辞めないわけにはいかない』と、まるで後を追うように断りを入れたんです」(球界関係者)
プロ通算11年の成績は15勝26敗、防御率4.34と、オマケして言っても二流レベル。だが、アマチュア時代のインパクトだけは、他に類を見ない超一流レベルだった。
早実時代の06年に決勝で楽天・田中将大(32)と投げ合い、延長15回引き分け、そして再試合の末に夏の甲子園を制覇。その後に進学した早大では、東京六大学史上6人目の「30勝・300奪三振」を達成し、10年ドラフト会議の目玉として4球団から1位指名された。
「キャンプ前の新人合同自主トレは空前の〝佑ちゃんフィーバー〟でした。2軍施設のある鎌ケ谷スタジアムの駐車場は連日満車で、近所の梨畑に臨時駐車場が設置されたほどの盛況ぶり。高校球児の頃から追っかけていた〝佑ちゃんマダム〟なる熱狂的なファンたちも登場しました」(スポーツ紙デスク)
文字通り母親代わりの温かい視線をエネルギーに変えたのか、1年目は6勝6敗、防御率2.69という、まずまずの成績を残した。
同年オフに就任した栗山監督は、キャスター時代から注目していたスターを猫っかわいがりし、猛反発を食らった。
「2年目の斎藤を開幕投手にゴリ押ししたんです。あまりに特別扱いしすぎていないかと周囲が忠告しても、全く聞く耳を持たず。さすがの斎藤本人も『(まだ球団の)顔じゃない』と戸惑い気味でしたが、『特別扱いというのは、どんな仕事でもある。それを恥だとか負い目に感じる必要はない。それだって一つの強みにすればいいんだ』と〝栗山語〟で勇気づけたといいます」(スポーツ紙デスク)
以降、斎藤と栗山監督の二人三脚は続くが、金言が功を奏したのか、9回4安打1失点でプロ初の完投勝利を挙げた。試合後のヒーローインタビューでは、
「今は〝持ってる〟ではなく背負ってます」
と、高らかなエース宣言をぶちかましたものだ。しかしながら、順風満帆なプロ野球人生もここまで。あとは一気に下り坂に転じることになる。
*「週刊アサヒ芸能」10月21日号より。(2)につづく