北海道日本ハムファイターズの斎藤佑樹投手が現役引退を決断した。同時に「ホッとしたのではないか?」とその胸中を察する声も多く聞かれた。
彼にとって、プロ野球人生は「こんなはずじゃない!」という葛藤の連続だった。
「まったれ」。プロ入りしてすぐ、陰でそう呼ばれるようになった。球界に元々あった「隠語」で、「真っ直ぐが力なく、垂れ下がっているボール」のことを指しており、それがそのまま斎藤のアダ名になった。
「プロの一流投手の直球には低めのボールが浮き上がってくるような力強さがあります。斎藤には全くと言っていいほど、それがありませんでした」(プロ野球解説者)
この「まったれ」は大学3、4年時から見られ、各スカウトが球団に報告していた。「リーグ戦で投げ続けた勤続疲労によるものなのか、それとも…」と原因究明が終わらないままドラフト会議を迎え、斎藤指名に決めた4球団も“2006年夏の甲子園大会で見せた直球の復活”を信じての入札だった。
「プロ1年目はその『まったれ』が、逆に武器になったんです。ナチュラル・フォークボールというか」(同前)
一時期、開き直って、この「まったれ」を武器にしていた。プロの一流バッターからすれば、球筋の悪いボールは本当に打ちにくく、そこに正規の握りによるフォークボール、スライダーも織り交ぜ、対戦打者を悔しがらせた。しかし、どのチームにも2度目は通用しなかった。
その後、大学に入学したころの直球の軌道を取り戻そうと努力したが、逆効果だった。球速が蘇らなかったからだ。
「球速が『並み』以下では、打ってくださいと言わんばかり。努力すればするほど、特徴のない投手になっていきました」(球界関係者)
それでも努力を続けたが、メンタルよりも先に肉体が悲鳴を上げた。晩年は故障との戦いも加わった。
「30歳を迎えたころ、それを認めたくない一心で投げ続けていました」(同前)
ピークは18歳、夏の甲子園大会だったというわけか…。“早熟投手”にとって、プロ野球生活は苦痛の日々でもあった。「まったれ」と、もう揶揄されることはない。斎藤はどこか安堵しているのではないだろうか。
(スポーツライター・飯山満)