昭和を代表する社長逮捕劇といえば、岡田茂の「三越事件」を思い出す人は多いだろう。三越の天皇と呼ばれたワンマン社長の解任劇や服飾デザイナーで愛人だった竹久みちへの不正利益供与など話題性も高く、多くの注目を集めた。
「京都府出身の岡田は1938年に慶應義塾大学を卒業すると三越に入社し、宣伝部長から銀座店店長と出世街道を驀進しました。その銀座店時代には、日本マクドナルドのテナント入りを成功させ、72年に三越の社長に就任すると、さらなる手腕を発揮。“流通界の革命児”と絶賛されましたが、その一方で意に沿わない人物を次々と粛清していき、社内では『岡田天皇』と呼ばれるほどのワンマン体制を築いていきました」(ノンフィクションライター)
やがてジャーナリストの恩田貢から紹介された、みちを愛人として寵愛するようになり、みちは岡田の庇護のもと三越内で発言力を強めていき、「三越の女帝」と呼ばれるになっていった。このことは、1982年4月発売の「週刊朝日」が「三越・岡田社長と女帝の暗部」との見出しで報じ、世間にも2人の関係が知られるようになった。
そんな中、同年6月に三越は納入業者に対し商品など購入の強要をしていたことで独占禁止法第19条の不公正な取引方法の審決を受け、さらに8月には日本橋本店で開催された「古代ペルシア秘宝展」の大半が贋作であることが報じられるなど、不祥事が続発する。
「それらで得た利益の多くは、岡田からみちへと渡っていたことまで明らかになり、三越側は岡田に辞任を要求します。岡田はこれを突っぱねるのですが、内部の反岡田派の謀略によって岡田の社長職と代表権を解くことが決定した。その際、岡田は狼狽して『なぜだ!』と何度も叫んだと言われており、この『なぜだ!』が82年の流行語となったのです」(テレビ局報道部員)
その後、岡田とみちは19億円の特別背任罪の容疑で、東京地方検察庁特別捜査部に逮捕され、岡田には懲役3年の実刑判決、みちには懲役2年6月と罰金6000万円支払いが命じられたのである。
(小林洋三)