昭和の終わりが差し迫った1988年に発覚、政官界を巻き込む戦後最大の企業スキャンダルへと発展した、リクルート事件。その中心人物が、当時のリクルート社会長・江副浩正氏である。
江副氏は63年、愛媛県で数学教師の父親と、その教え子の母親の間に生まれ、ごく平凡な家庭で育った。芦屋の名門・甲南高校に進学したものの、特に得意な科目やスポーツもなく影も薄かったことから、東京大学に合格した際は周囲も驚いたという。その大学時代に東大の学生新聞・財団法人東京大学新聞社で広告営業を務め、そのノウハウを活かして卒業後に起業。リクルートの前身である株式会社大学広告を立ち上げた。
「大学時代から営業センスは抜群で、とりわけ決定権を持つ人物を探し出して直接営業をかける手法に、周囲は感心したといいます。大学広告では『企業への招待』を発行して求人広告業界の礎を築き、その勢いのまま不動産や旅行、転職情報提供などにも進出。リクルートを急成長させました。しかし一方で、政界との繋がりが弱く大企業からも距離を置かれていたことから、そのパイプ作りに心血を注いだ。その延長に、リクルート事件があったと言っても過言ではありません」(経済評論家)
88年6月、江副氏がリクルート・コスモス社の未公開株を神奈川県川崎市助役へ譲渡としたことを朝日新聞がスクープし、事件が明るみになる。その後、マスコミが取材を続けると、当時の首相である竹下登氏や副総理の宮沢喜一氏、その前首相の中曽根康弘氏、自民党幹事長の安倍晋太郎氏ら90人を超える政治家に株が譲渡されていたことが発覚した。
「未公開株は84年から85年に掛けて譲渡されており、86年に店頭公開後、株を譲渡された人たちが売却して得た利益は6億円にのぼると言われています。この贈収賄事件で、江副氏は元号が平成に変わった直後の89年2月に逮捕。政治不信が一気に噴出するなか、6月には竹下総理が辞職することとなったのです」(ルポライター)
事件が発覚してから15年。2003年に懲役3年執行猶予5年の有罪判決が確定した江副氏。13年に76歳でその生涯の幕を閉じたが、当時の経済成長の立役者の一人として、現在一線で活躍する経営者たちに大きな影響を与えていることは間違いない。
(小林洋三)